
小学校の時から、大人の強引な指導や命令が大嫌いでした。ある日、校庭で遊んでいた下級生の野球のボールが、校庭の片隅にある鍵が掛かった倉庫の上部の窓から中に入ってしまいました。背の高かった私には簡単に入れそうだったので、よじ登ってその窓から倉庫に侵入し、ボールをとってあげた事があります。
その時に学校の先生が来て、めちゃくちゃ怒られて耳を痛いほど掴まれて怒鳴られました。事情を説明しようとしても聞き入れてもらえず、決まりだからというのは分かっていましたが、体罰(昭和の時代なのでよくありましたが)を受け、「謝れ!」と言われました。しかし、なんでその先生に謝らなきゃいけないのかも分からず無言でいると、さらに頭を叩かれました。
以前このコラムにも書いた当時の担任の先生にこの件で納得がいかないと話に行くと、先生は黙って最後まで私の話を聞いてくれました。その後、ホームルームでその先生がクラスのみんなにその話をして、「みんなはどう思うかな?」と聞いて、いろいろな意見が出ました。
「やっぱりルールだから!」とか「萩原は下級生のためにボールを取ってあげようとしただけじゃん」とか、いろいろな意見が出ましたが、先生は最後まで正解は言わず、「学校側はこう考えたんじゃないか」とか、「萩原はこう考えて、それはそれで下級生の役に立とうと思ったことだから良いことだね、その上で気を付けるべきことがある」みたいな形で話をまとめてそのホームルームを終えました。当時の私は釈然としませんでしたが、今となればその先生が伝えたかったことは分かります。
子供の頃って素直な疑問とかたくさんあります。でも大人に質問しても本当の事は教えてくれず、どうすればよいかやり方だけ言われることが多く、子供の頃はいつももやもやしていました。そういう意味では、早く大人になって、自分で考えて決められるようになりたかったですね。大人になっても特に上下の関係、例えば上司と部下や先輩後輩、家庭でも親子などの関係性では、指示命令的なコミュニケーションが中心になりがちです。個人的にはそういったコミュニケーションは必要な時もありますが、人の成長や相乗効果などの観点で言うとWin-Winなコミュニケーションにはなりにくいのではと考えています。
これをコミュニケーションの発信側と受け手側に分けて整理すると、
発信側
・正解は一つではなく、あくまでも自分の視点からの意見や考えを伝えるものであること。
・相手をコントロールする目的で情報を発信しないこと。
・その情報を得て、判断するのは相手であり、その主体性を尊重すること。
・相手に対するリスペクトを持ち、その上で自分の気持ちを真摯に伝えられる勇気を持つこと。
そうすることで、伝える側も気持ちが楽になるし、望んだように相手がならなくてもストレスにならない側面もあるかと思います。
情報の受け手側は、
・他者の意見や情報が自分の考えと違っても、それによって自分が「非難」されている訳ではなく「違い」である。それを客観的な事実情報として受け止めること。
・どういう影響を受けるかは自分の主体性で選ぶことができることを認識すること。
・影響には、「理解」「共感」「同意」という段階があることを理解すること。
以下 以前にこのコラムにも書いた、「受けた情報から選択できる影響の3段階」です。
・理解:なぜそうなのか、その理由を理解できる
・共感:なぜそうしたか、その気持ちに共感できる
・合意:なぜそうするべきなのか、その行動に合意できる
(そうなったら自分もそうする)
話をきいて理解したとしても合意する訳ではない、その違いを理解していることが大切です。
情報を発信する側と受け取る側、それぞれが主体性と相手へのリスペクトを持つことで、質の高いコミュニケーションが生まれるのだと思います。

■萩原 張広 Profile
株式会社エムエム総研代表取締役CEO。株式会社リクルートにて法人営業、営業マネージャーとして7年のキャリアを経て、株式会社エムエム総研を設立。法人営業のコンサルティングサービスを大手IT企業やベンチャー企業に向けて多数提供。1998年、ニューヨークでの視察経験から日本でのBtoBマーケティングの必要性と可能性を感じ、業態をBtoBマーケティングエージェンシーとする。以降、数百件のマーケティングプロジェクトに関わる。