• 2020/05/27
  • 連載企画
  • はりこらむ

はりこらむ 第3回「バブル崩壊、リーマンショック ~そして2020年今思うこと(3)~」

  • 萩原 張広  
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前回のあらすじ バブル崩壊編その②


◆作れば売れる時代から、売る技術が必要な次代へ◆
状況が変化したことで、従業員向けのサービスから営業支援のサービスにシフトへ。
◆バブル崩壊から学んだこと◆
『粗利益とキャッシュフロー前提のリアル経営』、『自社の本当の強みからビジネスを展開すること』という2点の重要性を肌で感じる事ができた。

⇒第2回「バブル崩壊、リーマンショック ~そして2020年今思うこと(2)~」はこちらから



リーマンショック編その①


マンハッタンの営業マンは飛び込み営業をしているのか?


1998年、日本は未だ不況の時代が続いていました。社長の涙の会見で有名な、山一証券の倒産や多くの銀行の廃業などがあったころですね。そんな中、私は現状を打破するべく、アメリカの法人営業はどんなものなんだろうという素朴な疑問を持ち、ニューヨークへBtoBマーケティングの視察に向かいました。

当時のニューヨークの企業の中でも、現在日本で評判になっている、『ザ・モデル』のような、マーケ、営業、カスタマーサクセスを分業し高い生産性と成長性を実現した、日本円で3,000億円レベルの売り上げ規模になっている企業に訪問することができました。


そこで、営業マンの評価の仕方や、働く文化など、何から何まで日本との違いを感じました。これこそ今後の日本の営業の目指すべき姿と思い、日本に戻ったら早速そのスタイルを目指してビジネスモデルの開発に取り組もうと決めました。帰国した私は、とりあえず営業の分業化がキーだと思い、営業のリード獲得部分をアウトソーシングするテレマーケティングパッケージサービスを1年ほどで開発、コールセンターも作って営業活動を始めました。

しかし日本の法人営業文化は相変わらず古いままで、業績的には苦戦の2~3年が続きます。

ちなみにほとんどの日本企業は、その後も大きな変革もないまま現状に至っています。その間にアメリカでは、マーケティングの進化が進み、インターネットが普及するに伴い、新しいマーケティングツールとしてのITプロダクトも多数登場しました。SFA、CRM、そしてMAなどです。アメリカの場合は、初めにマーケティングありきで、その実現性の向上や生産性の向上のために、ITツールが登場し、それを使いこなすことが、成長につながり、爆発的な勢いで普及していきました。

そういったツールは、(例えばSFAなど)日本にも入ってきましたが、日本はマーケティングの考えや文化が浸透しておらず、旧来からの営業スタイルの考えが多くを占めていたため、普及に時間がかかりました。そして結果的にセールスマーケティング系のITツールに関しては、日本製品も登場しましたが、日本市場は、アメリカの製品に多くのシェアをとられてしまい現状にいたっています。セールスフォースしかりオラクルしかり。

そして2000年ころから日本でもネットバブルの時代が訪れ、渋谷ビットバレーの企業群やライブドアなどのプレイヤーが登場してきました。弊社エムエム総研は当時、テレマーケティングパッケージを進化させ、営業の分業化を可能にする「法人営業コールセンター事業」を、メインサービスとしていました。日本の多くの会社に営業に行くと、相変わらず営業の分業化の考え方さえ理解されずに終わるのですが、2000年以降に台頭してきたネットベンチャーはもともとアメリカのモデルからビジネスをはじめていることもあり、営業分業の考えには柔軟で、エムエムもネットベンチャーの顧客を中心に業績を伸ばしはじめ、リーマンショックまでは年率120%~160%くらいで成長していくことになります。


晩ご飯を食べていたら、ホリエモン逮捕!明日からどうなるの?


当時のメインクライアントでもあったライブドアの仕事が、ホリエモンの逮捕により、当然なくなり大変な思いもしましたが……。

前の日飲みすぎたので、その日は早く家に帰って晩御飯を食べていると、テレビ画面に逮捕されるホリエモンの映像が出てきて、「あれ、これって、明日からライブドアの仕事どうなるだろう」と、不安になり急に食欲がなくなったのを覚えています。結果的には、そのあと少しの時期は苦しみましたがライブドアの仕事で、できたコールセンターのリソースは他の仕事にも活き、その後も成長を続けることが出来ました。

そして、そのまま上場に進もうと思い、事業会社やVCから資金調達を行い、事業も利益化しはじめていたので、純資産は4憶くらいで、自己資本比率も65%くらいになっていました。個人的にも一部株の売却を行い、それなりのキャッシュが手に入って、六本木に毎日行ってました(よく行くお店に、朝青龍と野口五郎と松方弘樹がいましたね。この人たち友達だったんだ!)。バブルの時に経験できなかったことをちょっとだけ経験した感じですね!

そんな中、順調に伸びているコールセンター事業のために(その時はコールセンターの稼働スペースが足りず、提携先の会社に間借りして運用)、新しく大きなコールセンターを作ろうという話になり、四谷に150ブースのコールセンターを開設することになります。BtoBアウトバウンド専門のコールセンターとしては、当時たぶん最大規模だったと思います。(ちなみに本社スペースにも70ブースほどのセンターがあったので合わせて220ブースですね)もちろんお金的にも大きな投資となりました。

コールセンターがオープンするのが10月の予定で、その時の春くらいに「サブプライム問題」というのがアメリカで発生します。その時は、そんなにピンと来ておらず、まあなんとかなるだろうという感じで前に進んでいきました。でも、今思えばそこら辺から、世の中の空気がすこしずつ変わっていったような感じで……。


次回 『ガラガラのコールセンターで従業員がボール遊び』へと続く


⇒次の記事はこちらから


■萩原 張広Profile
株式会社エムエム総研代表取締役CEO。株式会社リクルートにて法人営業、営業マネージャーとして7年のキャリアを経て、株式会社エムエム総研を設立。法人営業のコンサルティングサービスを大手IT企業やベンチャー企業に向けて多数提供。1998年、ニューヨークでの視察経験から日本でのBtoBマーケティングの必要性と可能性を感じ、業態をBtoBマーケティングエージェンシーとする。以降、数百件のマーケティングプロジェクトに関わる

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