2008年にお笑いコンビ「さらば青春の光」を相方の東ブクロさんと大阪で結成された森田さん。コント師日本一を決める「キングオブコント」では2012年に準優勝にも輝いています。2013年には、相方の東ブクロさんのスキャンダルが発覚したことで、大手芸能事務所を退所し個人事務所を立ち上げることに。そのような逆境の中でも、歴代最多となる6回の「キングオブコント」決勝進出や多くのテレビ出演、単独ライブチケットの即完売など活躍が目覚ましいコンビです。今回、森田さんが芸人になったきっかけや、お仕事で大切にされていることについてお話を伺ってきました(森田哲矢さんのバイオグラフィーはこちら)。
芸人だけに億を稼ぐ可能性があった
――まず、お笑い芸人を目指したきっかけについて教えてください。
物心ついた時からお笑いがめっちゃ好きで、『加トちゃんケンちゃん』から入って、志村けんさんのブームが来て、その後、『元気が出るテレビ』で高田純次さんにとハマっていきました。思春期にはダウンタウンさんを見て過ごしていましたね。
僕、高校を卒業してからは就職せずフリーターで、借金作ってみたいな日々で、本当に人様に話せるような生活じゃなかったんです。
そんな中、24、25歳頃ですかね「ほんまにもう俺の人生は何なんだろう?」と考えて、とりあえず200万ぐらいあった借金を、ひたすらバイトして返しました。そしたら、返し終わった後に20万だけ余りました。その当時、松竹芸能の養成所費が20万円だったので、「じゃあ、これで行けるか」と25歳の時に養成所に入りました。
自分が、億を稼ぐ可能性がある仕事を考えた時に、「これしか、もうないやろうな」という感覚があって、とりあえずやってみるかという気持ちでした。
――養成所からスタートされて、どういった活動をその時はされていたのですか?
週1でネタ見せがあるので、ひたすらネタを作っていましたね。新ネタを毎週1本作っては見せて、あかんかったら捨ててみたいな感じです。松竹の場合、それなりに漫才の形になっていたら養成所に入ったばかりでもライブに出られましたが、僕は同期の中でもライブに出たのが一番遅い方で、4月に入って出られたのが8月か9月とかですね。
――相方との出会いと「キングオブコント」
――そこから、今の相方の東ブクロさんとはどのようなかたちで出会ったのでしょうか。
お互いに別でコンビを組んでいましたが、相方はそのコンビを解散して別の先輩と組み始めていて、その2週間後ぐらいに僕が組んでいたコンビが解散したタイミングで、あっちから誘ってきました。「組みませんか?」と。「いや、組みませんか? じゃなくて、お前、先輩と組んだばっかりやろ?」といった状況でした。
すごい長文のメールも来ました。「僕なら森田さんを輝かせられます」みたいな感じで、同意書ぐらい長いメールでしたが、先輩と組んですぐ乗り換えようとしてる奴は、ちょっと信用できないなと、ずっとはぐらかしていました。ですが、ちょうど『キングオブコント』というコントの大会の初年度が始まる時で、「これは出たいな」と思って、ちょっと試しに組んでみるかというところからスタートしました。
――「キングオブコント」を経て、このコンビで成功できるといった感覚を得たのでしょうか。
「キングオブコント」では1回戦落ちでしたよ。ただ、「可能性はなくはないな」と思って、その後、事務所ライブに出たらそこで1位を取って、どんどんピラミッドを上がっていく感覚はありました。4ヶ月後ぐらいには関西の賞レースの決勝に出られたので、「じゃあ、行けんのかな?」と考えていましたね。
素人時代に考えていた成功と現実
――実際、芸人さんになる前にイメージしていた姿と、実際なられた時では、ギャップはありましたか?
ありました。素人なので、ごぼう抜きで一瞬で売れるんやろなって思ってました。痛いやつでしたね。あと、大阪はもう松竹か吉本しかないので「松竹なら誰がおんねん、有名な奴?」って考えた時に、「別におらんな? よゐこさんTKOさんとかぐらい。一瞬で上まで行けんちゃう?」みたいな感じで調子に乗っていましたね、その時は。
養成所に入ってから、いろんな人を見て「あ、やっぱ、おもろい奴ってめちゃめちゃおんねんな」と気づいてからは意識が変わっていきましたね。
――芸人として頭一つ抜け出すのは大変でしたか?
そうですね。最初、養成所に入ってピンネタをしていた時には、「もう来週から行かんとこ」って思うぐらいスベったりしていました。
そこをなんとか踏みとどまってコンビを組んで、次第に養成所でウケるようになって、いろんな経験を経て関西の賞レース決勝に残った時に「自分は別におもんない人間ではないんかなぁ」と思うぐらいにはなりました。
――芸人としてのスキルアップについてはどのような意識を持っておられたのでしょうか?
養成所では手取り足取り教えてもらったわけでもないんですよ。でも、こうやったほうがウケるんじゃないかと、なんとなく無意識でわかっていった感じですね。あとはお客さんの反応とかですね。やっぱり、人ってベタが好きやから顔芸だったら、こういう時にこういう表情したら笑ってくれるんだな、というのは分かって来たかなとは思いますね。
――東京に来るまでの間は、どういった活動を行っていたのでしょうか?
ずっとネタ作りをして単独ライブをしてという日々でした。関西は賞レースが多いので、賞レースのためにネタを作っていましたが、松竹主催の舞台だけに出ていたら、外に出ていった時に勝てないだろうと、吉本主催の舞台にもめっちゃ出してもらっていました。
当時、唯一吉本の芸人さんは僕らに優しくしてくれて、賞レースとかで会った時にも、
「さらば、ライブ出てくれへんか?」みたいに誘っていただき、インディーズライブに出してもらったりしてましたね。
個人事務所の設立とコンビの売り出し方
――東京に来るタイミングで個人事務所の設立と伺いましたが、個人事務所になってから変わったのはどういったところですか?
今までは大きい会社にいて、マネージャーが全部やってくれたり、会社の人たちが単独ライブの手配も全部してくれたりしていましたが、全部自分たちでやらないといけないのは、あまりに違うとこやなって感じますね。ライブの小道具とかも全部自分たちで買ったり、劇場も手配したりっていうのは、やっぱり違うとこだと思います。
――コンビとしての売り出し方で意識されていることはありますか?
あんまりしていないですね。今はありがたいことに僕が結構ピンで出してもらったりしていますが、別にネガティブなことじゃないと思っています。どっちみち、相方もいつか上がってくるというか、いつかフィーチャーされると信じています。あと、僕がピンで仕事増えていて、相方がゴルフばっかり行っているのは、それはそれでおもろいから、いいかなっていう感じはしますね。
――他の芸人さんとの差別化は考えたりするのでしょうか?
そんな意識はしていないですが、「俺らやからこの仕事ができる」そういうところは少しあるかもしれないです。SNSを使ってフジロックを実況したら、すごい注目浴びたとか。それも仕事がなかったからフジロックに行っただけで、楽しいところに行ってることが仕事になってるというか、生き方も売る仕事というか、ここだけはお笑い第7世代とかに侵される領域じゃないなとか、そういう風には思います。
「キングオブコント」の決勝で大好きなダウンタウンさんに会えた
――ご自身で満足されたお仕事、一方で大変だったお仕事はどのようなものがありますか?
満足というと、「キングオブコント」で初めて決勝に行った時ですかね。大好きなダウンタウンさんに会えたり、しかも無名の俺らが準優勝したりとかは大きかったですね。本当は満足だと思ったらダメですけど、さすがに思っちゃいましたね。大変だったのは、相方のスキャンダルで仕事全部なくなったり、次の年の「キングオブコント」の時にはそれの煽りを食らったりしたので。なんかそういうのは大変だったなと思いますね。
――仕事の上で大切にされいてることについて教えてください。
やっぱり、おもろそうな方に行こうとは思いますね。もし仕事を選ばないといけないとなったら、おもろそうな仕事なら、別にギャラが安くても選んでしまうと思います。
――今はどんなことに力を入れて活動されていらっしゃいますか?
現時点では単独ライブですかね。今ネタ作りでヒーヒー言っているところです。一年の中で一番しびれる期間でもありますね。テレビと違って、自分たちの仕事の中で唯一お客さんからお金を貰っている仕事っていう感覚ですから。しかも劇場まで足運ばせてっていうののプレッシャーが半端ないです。だから、その人たちを満足させないといけないっていうのは思いますね。
「隙間、隙間狙っていく感じで億稼げたらええな」
――今後の展望について教えてください
どうですかね。馬鹿でかいビル建てたいですよね(笑)そこ、狙ってるんですよ○○のビル。あそこ、買収できへんかなと思って。五反田に馬鹿でかいビル建てられればなと思ってますけどね。
――お笑い業界においての、ご自身の野望はございますか?
野望ですか……もう天下取るとかそういう時代じゃないですからね。あと、そういうキャリアでもないと思っていますので、自分たちにしかできないことを、隙間、隙間狙っていく感じで億稼げたらええなって思います。
――最後にマーキャリ読者へメッセージをいただけますか。
俺らは楽しいと思ってこの世界に入って、実際に入ってみたら、しんどいこともあるけど、楽しいんですよ、正直。仕事という意味では、やっぱり自分が楽しいと思えることに向かっていった方がいいんじゃないかなと思います。道を踏み外さない程度にね。
バイオグラフィー(←クリックするとバイオグラフィーが表示されます)
PROFILE
1981年大阪府出身。2008年に相方の東ブクロとさらば青春の光を結成。2013年には個人事務所「株式会社ザ・森東」を立ち上げ、自身が代表取締役社長に。「キングオブコント」では歴代最多となる6回の「キングオブコント」決勝進出記録を持ち、2012年に準優勝を果たす。2020年現在レギュラー16本抱える(「さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ」、「アッパレやってまーす!」、「今日からやる会議」など)。