• 2020/11/17
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【インタビュー】世界的ギタリスト、マーティ・フリードマン「成功を掴むためには、当たり前を逃してはいけない」

  • マーキャリ 編集部
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世界的なヘヴィメタルバンドのギタリストとして活躍し、脱退後はJ-POPをやるために活動の拠点をアメリカから日本・東京へと移したマーティ・フリードマンさん。流暢な日本語を駆使し、日本のテレビ番組で存在感を発揮。相川七瀬のコンサートツアーへの参加や、演歌歌手の石川さゆりや八代亜紀、ももいろクローバーZとの共演なども話題に。この度、3枚目となるJ-POPのギターカヴァーアルバム「TOKYO JUKEBOX 3」を発表したマーティさんに、その異色のキャリアについて伺ってきました。

「音楽をやるしかない。だから諦める選択肢なんかなかった」


――マーティさんが、音楽をご自身の仕事にしようと思ったのはいつ頃ですか?

ギターを初めたばかりの時に、僕はギターレッスンを受けていましたが、そのレッスンを受けた直後に、習ったばかりのことを他の人たちに教えるようにしました。4人ぐらいに教えたら、自分のレッスン代プラス倍ぐらいのギャラをもらうことができました。ゼロからのビジネスでしたね。教える時にレッスンの内容をもっと身に付けられるし、どうせなら儲かればいいじゃんと子どもの頃で、もう分かっていました。一石二鳥だと。

――マーティさんの本を拝見したのですが、メジャーデビューが夢だったということで、それを目標に活動を進められたのでしょうか。

メジャーデビューは一番トップの目的でしたね。メジャーデビューする前にインディーズで何枚もCDを出したのですが、インディーズの頃は強烈すぎるというか、音楽的にメインストリームではありませんでした。ただ、それでもメジャーはすごく憧れで、何よりメジャーに行きたかったです。

インディーズの時代は長かったのですが、その時はずっと貧乏というか、ホームレスと紙一重ですね。居候をしていましたし、ライブをしたらそのライブのギャラはまた音楽活動に使うので全然儲からなかったですしね。レコーディングの時には、必ず人の楽器を借りたりしてマイ楽器をほとんど使わなくて。僕のレッスンの生徒さんたちのほうが良い楽器を持っていましたから。



――実際、音楽だけで食べていけるという確信はあったのでしょうか?

ティーンエイジャーの時代から音楽だけで食べていましたが、食べていると言っても、良いものは食べていないですね。良い部屋でもない、という状況ではありました。そういえば、普通の仕事はやったことがないですね。というのも諦めるオプション、選択肢がなかったですから。

音楽の世界って「音楽やりたい」と「やるしかない」の間にすごい差があるんですよ。みんな当然、音楽をやりたいのですが、「やるしかない」と思うのは別の人類、別の次元です。音楽しかないから普通の仕事をやるよりホームレスや居候をする生活の方が、全然ありだと僕は思っていました。

真っ直ぐ集中して、とにかく目の前のことをできるだけ頑張って続けていました。他の人は音楽をやりながら同時にバイトや仕事をしていて、それはよいのですが、そのうちに髪の毛を切ってポロシャツを着てロック魂を捨てちゃうんですよね。

その当時、お金も食べ物もない状態でも忙しかったです。音作りやネットワーキング、他のミュージシャンとのやり取りとか、常に多忙でしたね。

――お金は後から付いてきたという感じでしょうか?

後から来ました。でも、正直言ってお金のためじゃなくて、音楽をやりたかったのが一番です。だから、できるだけ多く、大勢の人の前で演奏してきました。それしか考えなかったです。

邦楽をやりたかったら日本に来るのが当たり前。でも、みんな当たり前を逃しちゃう



――J-POPをやるために日本に移住されたと伺ったのですが、具体的に誰かに相談されたことや、プランはあったりしたのですか?

相談はしていないですね。ちょっと来るのが単純すぎて、邦楽が好きだったから、「邦楽をちゃんとやるんだったら日本に住むしかない」という当たり前の考えです。

人は、時々夢に必要な当たり前のことを逃してしまいます、例えば、音楽やエンターテイメントの世界だったら都会に住むのが常識じゃん。でもそのすごく当たり前の常識が分からない人が多いと思います。

才能もある頑張り屋だったとしても、ちょっと田舎だったり、大した都会ではないところにいると逃してしまいます。日本だったら東京、アメリカだったらニューヨーク、ロスに行かなければなりません。他の街だったら本当に時間をゴミ箱に捨てているって感じです。

だから邦楽をやりたければ日本にいるのは当たり前ですよね。僕も日本語はそんなに自信がなかったけれど、行かないと始まらないと思って日本に来ました。だって、アメリカから邦楽やるわけないじゃん。

――そこから活動を徐々に広げていかれたのですね。

はい。少しでも邦楽の世界に足を踏み入れれば、なんとかなると思っていました。日本では洋楽と邦楽の世界って本当に別の惑星ほどダブらない。最初は邦楽のコネもなかったので、洋楽の業界の人たちに少し相談はしましたが、そんなに邦楽の世界につながりはないので、意外とゼロから始まりましたね。

――やはり、相川七瀬さんと共演してから広がったのでしょうか?

そう、彼女は邦楽だから、その出会いが非常に大事でした。彼女のバンドに入って邦楽のファンの前で演奏ができたことが、その後につながっています。というのも、邦楽のファンは洋楽のことをよく知らないですよね。邦楽のファンは僕の歴史を知らないので、完全に白紙から「このロン毛の外人って誰?」って感じで、「ちょっと面白いな」、「演奏好きだな」と興味を持ってもらうことができました。

それから全国ツアーやレコーディング、曲作りなどで相川さんの現場に入っていったことで、少しずつファンに知られていきましたし、邦楽のミュージシャンとのやり取りも始まりました。それが一番広がりやすいと思います。

特にサポートミュージシャンっていろんな現場で働いていますので、その世界に入ったら少しずつ他の現場にも入りやすくなりました。

とにかく自分の存在を知られるようにする。それはどの国であっても同じ



――キャリアを作っていく方法は、日本とアメリカとでは違うものでしょうか?

どの仕事でも、やりたい場所にとりあえず入って、その場所に詳しい先輩たちに知られるように入り込むわけです。吸収されるように、とにかく自分の存在を知られるように。だからそれは国とは関係がないです。

まず自分の存在を知られていないと、僕がいくら邦楽をやりたいと思っていても、発見されないのです。だから自分で自分の存在感を作っていかなきゃいけない。

例えば、相川さんのバンドでは日本ツアーをやりました。その中で他のメンバーが実は安室ちゃん(安室奈美恵)と演奏している。そうなると、僕はその人と仲良くなったら安室ちゃんの現場に入れるかもしれないですよね。そういうかたちで音楽業界が動いています。完全にネットワーキングですね。

――活動の中で大切にしていることはありますか?

一番は何より演奏、ライブ演奏ですね。ただ、他にも幅広く活動することを大事にしています。日本だと海外と違ってミュージシャンは音楽だけじゃなくて、さまざまなことをしています。ラジオ番組やテレビに出たり、本を書いたりと幅広いことをしなきゃいけない。だから一年の活動スケジュールをマネジメントがしっかり組んでくれています。

最近だと2016年に日本遺産大使に任命されたのもそうです。もちろん本業は音楽ですが、音楽以外の自分の見せ方、演出をしてもらって、仕事がうまくいきます。
 

日本語の練習と思ってチャレンジしてきたら、自分のイメージがついてきた

――マーティさんというと日本語がお上手でとっても気さくな方というイメージがありますが、最初からそのようなイメージがお茶の間に広がると想像されていたのですか?

それはもう全く意識していないですね。テレビ番組に1回出演したらうまくいったので、どんどんテレビやCMが増えていって自然にイメージがついたのだと思います。また、パックン(パックンマックンのパトリック・ハーラン)やロバート・キャンベル先生ほど日本語通ではありませんが、自分なりの変な説得力があるかもしれないですね。

日本語に関して、個人的に一番深いことと言えば、テレビやラジオでのプロモーション出演は、全部日本語の練習だと僕は思っています。もちろんその時の活動のプロモーションがメインの目的ではありますが、とにかく、その意識がないと日本語は上達しないですね。そう今でも思って活動しています。

こだわり抜いた今回のアルバム みんなの応援歌になってほしい


――今、コロナで大変な時期だとは思いますが、活動の変化は感じられていますか?

ちょうどアルバムの制作時期と重なっていて、逆にレコーディングの期間が長くなったのは、不幸中の幸いですね。もし何かを直したければまたスタジオに入って直すことができました。急いでレコーディングをして早く出そうという、いつものパターンではなく、すごく贅沢な時間でしたね。

僕は完璧主義者ですが、長い期間で何回も同じ音を聞いて、小さいところを直したいといった贅沢なことは普通できないですからね。でも今回、何回も作り直して、本当に理想のかたちになるまでこだわりました。最終的にそのおかげで強いものになったと思います。

――今回のアルバムのコンセプトと、意識されたことについて教えていただけますか?

僕は4年前から毎年、東京マラソンの開会式で演奏をしているのですが、今年はちょっと新しい曲をやりたいなと思っていました。みんなが知っていて、力になる応援歌のような曲ですね。デモで、いきものがかりさんの「風が吹いている」を作ったら、個人的にあまりに嬉しくなって、周りの人に聞いてもらったら「この企画でTOKYO JUKEBOX 3やりましょうか」と話が盛り上がって進んでいきました。

コロナで東京マラソンが延期になってしまったのですが、とにかく、アルバム全体でそういう応援歌みたいな、元気が出るような曲ばかりですので、むしろこの状態にふさわしくなったと思います。

――それはやはり、最初の1曲目がキーになりましたか?

はい、ZARDの「負けないで」ですね。不思議な現象ですよね。例えば運動する時に、ある曲を聞いたらもうちょっと頑張ることできますよね。魔法じゃないですか?

誰に何が響くかをすごく深く分析して、そういう成分を自分の曲に全部入れようと思いました。

――聞かせていただいて、私にも伝わりました。


ありがとうございます。嬉しい、超嬉しいですね。何より、僕が他人の音楽を聞いている時に、すごくありがたいという気持ちがあります。その曲があるから、ちょっと疲れていても元気が出ます。だから、僕が同じことを人にしてあげることできたら非常にいいなと思っていて、それを目指しています。

――最後に、今後の活動予定や展望について教えてください。

来年1月の日本ツアーは5カ所です。やっとちゃんと人前で演奏できるようになるので非常に楽しみです。12月には、すごく変わったロケで特別な配信ライブを行います。

何よりライブをやりたいのでツアーが楽しみです。もちろんTOKYO JUKEBOX 3に入っている曲をいっぱいやりますし、僕のソロアルバムも15枚ありますので、その中からファンたちが喜んでくれそうな曲をいっぱいやりたいです。

■マーティ・フリードマン PROFILE
1962年、アメリカ・ワシントンD.C.生まれ。インディーズでのバンド活動を経て、1990年にMEGADETH(メガデス)に加入。後に全世界で1300万枚以上のアルバムセールスを誇るメガバンドへと導き、世界中に熱狂的なファンを持つギタリストとなる。 MEGADETH脱退後、2004年に活動の拠点をアメリカから日本・東京へと移す。 2005年からテレビ東京で放送された伝説のロックバラエティー番組「ヘビメタさん」にメインのレギュラー出演者として登場し、ヘビーメタルファンを驚かせた。 現在、ギタリスト・作曲家・プロデューサーだけに留まらず、テレビ・ラジオ・CM・映画など様々な角度でマルチアーティストとして活動している。

INFORMATION


MARTY FRIEDMAN
『 TOKYO JUKEBOX3 』
2020.10.21 ON SALE
収録曲:1.負けないで/2.千本桜/3.紅蓮華/4.風が吹いている/5.ECHO /6.The Perfect World (feat あるふぁきゅん)/7. U.S.A./8.宿命/9.行くぜっ!怪盗少女/10.サザンカ/11. Time goes by/12.JAPAN HERITAGE OFFICIAL THEME SONG ※文化庁公認

【TOKYO JUKEBOX TOUR 2021】
1/21(木) 東京
《近日詳細解禁!》
1/22(金) 福岡-Gate's 7
http://www.gates7.com
1/24(日) 名古屋-BOTTOM LINE
https://martynagoya.peatix.com
1/25(月) 京都-KYOTO MUSE
https://martykyoto.peatix.com/
1/26(火) 大阪-BIGCAT
https://martyosaka.peatix.com/

■公式Webサイト
http://martyfan.com/

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