働き方改革が施行されたことにより、会社の体制や制度が変わったなんて人も多いと思います。企業も個人も今まで以上にビジネスマンのキャリア展望に目が向けられている中、マーキャリ会員によるキャリアチェンジに伴った体験談をシリーズものとして連載していくのが本企画です。
今まさに自身の今後のビジネスライフに向けて働き方を変える動きをしている方も、まだキャリアプランが漠然としている方も参考になる内容になっておりますので是非ご覧ください。
今回の記事投稿者:高橋泉さん
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こんにちは!
ホテルのフロント係から、システム管理者へ転職した高橋泉です。
7歳と3歳の二人の子持ちのママでもあります。
システム管理者っていったい何?と思う方も多いと思いますが、私も最初はそうでした。簡単に言ってしまえば社内のシステムが正常に動くように管理している人のことを指します。会社で働いている人々が普段の業務を問題なく行えるようにサポートすることが主な役割です。いかにもITっぽい仕事をしている私ですが、最初はITとは全く関係ないホテルのフロントデスク係をしていました。フロント係はみな「接客が好き!」「人を喜ばせたい!」という人が多く、私もそのうちの1人でした。
そんな中なぜいきなりIT業界へ?と思われた方もいると思うので、私のなんちゃって転職話をお伝えできればと思います。
もともと私は接客が好きで、学生の頃からずっと飲食や販売のアルバイトをしていました。就職をするならもっとお客様に喜んで貰えるような仕事がしたいと思い、大手ホテルチェーンへ就職しました。
シフト業務はつらいよ
希望していたフロント係に配属され、忙しい日々を送っていたのですが1年経ち、2年経ち・・ふと気が付くと世間から切り離された生活をしていることに気づきました。
ホテルはもちろん365日、24時間営業です。当然夜勤もあり、残業もザラ。半年間ずっと深夜業務などの生活、その次は半年日勤…などの生活を交互にしていると段々と体の不調がでてくるようになりました。夜に働くということは昼間に寝ることになるのですが、真夏の昼間に寝るというのは結構大変です。また当時付き合っていた彼がいたのですが、相手が土日休みだとデートの時間もまともに取ることができません。将来的には結婚して子供が生まれても仕事は続けたいと思っていたので、このままの生活を続けたまま家庭を持って子育てをするのは厳しいのではないかと考えるようになりました。
最近は女性のキャリアについてフォーカスされるようになってきました。政府もワーキングマザーを増やして積極的な共働きを応援してくれてはいますが、やはり女性は結婚後の具体的なプランを頭に描いていないと共倒れになってしまいます。女性が活躍できる場所が増えた結果、自分の人生プランというものもきちんと考えていかないといけないという責任も出てきているのです。「好きな仕事をしていきたい」という気持ちはとても大切ですが、「結婚しても無理なく仕事をしたい」という気持ちを天秤にかけた時、私は後者を選ぶことにしました。
PCは好きだったけど、めちゃくちゃ得意ってわけでもなかった
私の子供のころはまだ珍しかったPCが家にあったこともあり、小学生の頃には簡単なHPは作れるようになっていました。当時はまだ電話回線が一般的でDreamweaverなどのソフトもありませんでしたので、全てタグで打っていました。高校生の頃には本当に簡単なアプリを作っては無料配布したり、Photoshopで絵を描き始めたりとPCは玩具感覚で使っていました。
ホテルのフロント業は女性が多くPCに強い人があまりいなかったので、ちょっとした質問が飛んでくるようになっていました。最初のうちは上司から「ちょっとログイン出来なくなっちゃったから来て~」などで呼ばれている程度でしたが、そのうち「パソコンのことは高橋に聞け」というようになり、最終的には「パソコンの人」という存在になっていました。
システムについては多少の知識はありましたが、専門的に学んだことはありませんでしたし、業界についても全く知りません。担当者さんと世間話をしていくうちに、IT業界の情報や、仕事内容、勤務条件などの話を聞き、思ったより悪い世界じゃないのかもと思うようになりました。また英語が使えたので「ITと英語」という得意なジャンルがあるならそれを武器にしても良いなと思えてきました。
ホテルのフロント業務時代にした準備
情報収集
私みたいなド素人がいきなりIT業界に転職できるのか、できたとしても職種は何になるのか、そこからのスタートでした。ホテルに出入りしている外部のシステム担当者さんと仲良くなり、色々IT業界の情報を教えて貰ったり、勉強した方がよい分野などの話もしてくれました。インターネットで情報収集し、転職エージェントの主催するIT業界用セミナーなどにも積極的に参加したりしていました。
自分で作ってみる
また比較的時間のある深夜勤務の間に「休暇届提出システム」や「ファイル整理システム」などを作ったりしてみました。またグラフィックも好きだったので、ホテルのWebサイトや、パンフレット、地図の制作もしていました。その時出来た言語はHTML, VBA, SQLくらいですが、ホテル内では「もはや何屋さんだよ(笑)」と言われるくらい、接客以外の空いた時間はPCにかぶりついた生活をしていました。
実際に足を運んでみる
私の条件は「土日休み」「残業がない」「産休が取れる」「有給が取りやすい」という、とにかく「働きやすさ重視」で選んでいました。色々な企業をチェックし、たとえ採用を出していなさそうな会社でも実際に足を運んで見に行ったりもしてみました。たとえ中まで入れなくても、ちょっとした雰囲気や規模、出入りしている人の様子だけもわかるので散歩ついでといった感じです。
大手の企業にチャレンジ
とにかく「土日休み」「残業なし」「休暇制度」を条件に会社選びにいそしんでいました。ちょうど世の中は働き方改革を進めていていたこともあり、転職エージェントからの紹介で運よく外資系の会社に転職することができました。
採用の通知が来た時は本当にビックリ。なぜなら私のITの知識は、大学や専門でやってきた方に比べたら遥かに劣っていたからです。揃いも揃った精鋭達ではなく、私が採用された理由を客観的に考えた結果「即戦力は求めていないのだろう」という結論に達しました。
後から採用担当者の話を聞いたら案の定、「うちのチームとうまくやっていけそうな人材が欲しかった」ということでした。
転職してから頑張ったこと
半年以内にSecurity+の合格
半年間は試用期間ですが、その間にCompTIAのSecurity+試験へ合格するようにという指令がでました。いくらちゃらんぽらんでもそれ位は出来ないとダメということだったのでしょう。半年間寝る暇を惜しんで勉強し、忘れもしない12月25日のクリスマスに試験を受け無事合格。晴れて常用雇用となることが出来ました。その後も社内規定の研修に合格するのに1年ほどかかりましたが、なんとか合格することが出来ました。
運用マニュアルの整理
まず私が着手したのは運用マニュアルの作成と整理です。担当者によって記録のつけ方や、手順などが違っていたので誰が何をしているのかわからない状態になっていましたが、それに対してマニュアルを作って一本化しました。それによってシステム内での情報共有がとりやすくなり、人によって違う癖などで起こるミスも減っていきました。この改革は大変好評だったようで、のちに表彰もされました。
ユーザーとの懸け橋になる
実際にシステムを使っているのは社内のユーザー、または外部の顧客です。システム部にいるとつい自分たちの見方でしか物を考えなくなってしまい、実際に使うユーザーにとって不便になってしまうことも多々あります。しかしユーザー目線でばかり考えていると、システム構成が成り立たなくなってしまうことも多くあるのです。この部分の差を埋めていくのが私の主な役割なんだと認識していました。
分かりづらい専門用語をかみ砕いてユーザーに説明したり、また講習会を開いてユーザーへの意識管理を促したり、といったことをしていきました。その際に気を付けていたのはシステム部に対する「とっつきづらさの軽減」です。普段から色々な部署とコミュニケーションをとるようにし、風通しを良くするように心がけました。システム部は年配の男性が多く、ぶっきらぼうさと雑多さが目立っていましたが、そのイメージを和らげるような努力をしていきました。
相手の仕事内容も理解する
実際に私のやっていることは数字には表しづらい部分です。しかし精鋭たちが頑張っている後ろで、それの手助けをする人間は必ず必要になってきます。その際彼らの意思をくみ取って、ユーザーと掛け合ってみたり、壁を作らないように理解を得たりする役目がいないとケンカになってしまいます。その為に努力したのは、相手の仕事内容を知ることでした。部署によって行っている作業はもちろん、考え方、雰囲気すらも違います。同じ言葉でも相手を選んで使わないとYesな物もNoになってしまうのです。
相手の仕事内容を理解してないとただの押し付けになってしまいますし、こちらの事情も分かってもらえないと相手に譲歩してもらえないのです。結局、いっしょに働くのは人間ですので「高橋さんに言われたら仕方ないか」と言って貰えるのも大切なのだと思います。
産休と産後の働き方
こうしてなんちゃってシステム管理者として新しい分野で地盤を固めた頃、タイミングよく妊娠し無事に1年半の産休を取らせていただくことができました。システム部としては初の産休取得者でしたが、復帰後も暖かく迎えて頂き、時短や子供の看護休暇など安心して取らせて頂いています。「戻ってきてくれるなら何人産んでもいいからね」と言ってもらえ、とても良い環境に転職できたと改めて感じています。
さいごに
私の場合、仕事は「人生の中の一部分」としての認識が強くありました。自分の人生を快適に過ごすためには、どのような仕事ができたらハッピーなのかということを常に考えていました。24時間の中の8~9時間、つまり3分の1は会社にいるのです。その時間をいかに楽しく過ごすか、自分の人生にとってよい時間であるかを考えた結果、私は得意だったITという業界を選びました。
つらいことばかりで土日も仕事、海外出張ばかり、夜勤も多くて毎日しんどい…
そんな生活ではせっかく家庭をもっても楽しめないとおもったのです。
もちろん自分のしたい生活をする為の努力は精一杯していると自負しています。それ以上に私のワガママを許容してくれている今の会社にはとても感謝していますし、これからも皆が楽しく働けるように精進していきたいと思っています。
今までやっていたことと全く違うことをするというのは、本腰をいれて取り掛からないといけない部分が多くあります。キャリアチェンジをするのにはビジョンを持って進んでいくこと!それが一番大事なことなんじゃないかなと思います。