• 2020/06/15
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製造現場から開発部門へ。過去の知識が未来の武器になる【キャリアチェンジ体験記】

  • マーキャリ会員  
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【キャリアチェンジ体験記とは】
働き方改革が施行されたことにより、会社の体制や制度が変わったなんて人も多いと思います。企業も個人も今まで以上にビジネスマンのキャリア展望に目が向けられている中、マーキャリ会員によるキャリアチェンジに伴った体験談をシリーズものとして連載していくのが本企画です。

今まさに自身の今後のビジネスライフに向けて働き方を変える動きをしている方もまだキャリアプランが漠然としている方も参考になる内容になっておりますので是非ご覧ください。

今回の記事投稿者:山本典二さん
⇒山本典二さんのバイオグラフィはこちらをクリック

はじめまして、現在新製品開発事業部で働いている、norijiと申します。
1999年に現在の会社の製造部門に中途採用で就職し、2009年に開発部門Aに移動、2014年に開発部門Bに移動しました。そして開発B部門での直属の上司に呼んでいただき、現在は開発部門Cに在籍しております。


私は学生時代から勉強が苦手で、現在所属しているチームでも、決してプロジェクトの中心人物などではありません。しかし、自分の働きが確実にチームに貢献し、チームメンバーの支えになっていると実感できており、現在は充実した毎日を過ごしています。
今回は、私が社会に出てどのような経験を経て充実感がもてるようになったかをお話させていただきます。
拙い文章ではございますが、お付き合いください。

「ある一言がきっかけで激変した下積み時代」

前述したとおり、学生時代はとにかく勉強が嫌いでした。短期大学校では生産技術を勉強していましたが、いつも落第ギリギリの点数。学年で最下位だったのではないかと思うほどでした。
そんな私がラッキーにも地元の企業に就職することができました。ITバブルのおかげで電子部品の需要が高まり、製造現場で働くオペレーターを多数募集されていたからです。
製造現場に入ってからは、3交代勤務で毎日ヘトヘトになるまで働きました。言われるがままに、言われたことをやっているだけの毎日。自分から何かを考えることもなく、ただ言われたことだけをこなし、自分では頑張っているつもりになっていました。
そんなある日、先輩が話している声が聞こえてきました。

「あいつは言われたことしかできないんだな」

ハッキリ言ってショックでした。自分では頑張っているつもりだったのに、周りから見ればその程度の評価しかなかったのです。ここで初めて自分が何も考えずに仕事していると気づきました。
その一件以降、私は周りをよく見て、自分ができることを探し、何でもやることにしました。

「自分を変えるキッカケになったのは学生時代の貯金」

周りをよく見れば、自分にできること、自分にしかできないことがたくさんあることに気づきました。ほんの少しの不便を解消するために、「職場改善」の意識を持ち、毎月何件かの改善提案を行う。自分でも意外だったのは、製造現場の改善には、学生時代に学んだ知識、技術を活かす場が溢れていることでした。
現場の使いにくい機器を使いやすく改造する。改造するために使いやすい機器を作り出す。これの連続でしたが、学生時代に学んだ機械製図の知識が、他の現場作業員には無い技術だったこともあり、自分の武器として大いに役立ちました。


もちろん怠惰な学生生活を過ごしていた私が、突然使える図面を作れるはずもありません。教科書を引っ張り出して図面をたくさん描き、「仕事を少しでも楽にする」という意識を持って製造現場で改善活動に積極的に取り組みました。

「全く畑違いの開発部門への異動」

製造現場でたくさんの改善活動を行ううちに、上司にも頼ってもらうようになりました。自分は一生こうやって製造現場を良くしながら働いていこうと思っていた矢先、リーマンショックが起こりました。
これによって製造現場の需要は急激に落ち込み、余剰人員を放出することになったのです。当然私も例外ではありません。10年在籍していた製造現場から、全く違う職種である開発部門へと移ることになりました。
開発部門と製造現場は全く違う世界で、別会社に就職したくらい右も左もわかりませんでした。

「自分の武器を再確認」

開発部門では、今までの常識は全く通用しませんでした。全てが初めてのことばかりで、最初は右往左往することしかできません。
製造現場では良しとされていた事が、開発現場では「絶対にやってはいけない」とされていたり、逆に開発部門では全く行われていないことが、製造現場では常識のように行われている。今までの常識から頭を切り替えるために、とにかく開発現場をよく観察する毎日。
しばらくするとチーム全体や、開発現場のことが見えてくるようになりました。


そこで見えてきたものは「開発チームには、自分と同質の考えを持っている人が少ない」ということです。

今までは武器は違えども、自分と同じ「少しでも作業を楽にする」という方向に考える同僚がたくさんいましたが、開発現場には「改善する」という考え自体が少数しかいなかったのです。
製造部門での経験を活かして問題点を見つけ出し、自分の活動が注目してもらえるようになりました。

「新しい武器を作り出す」

いくら改善活動を行う人が少ないと言っても、製造現場と開発現場では環境が全く違います。製造時代のやり方だけでは、すぐに頭打ちになってしまいます。そこで、開発部門に通用する新しい自分の強みを作り出すことにしました。とは言っても、学生時代を怠惰に過ごした私には、そんな強力な武器を簡単に作り出せません。


そこで、当時ほぼ誰も使っていなかったソフトウェアを1から勉強しました。
ソフトウェアの講座に参加するようなお金もなかった(子供が生まれて間もなく、妻も専業主婦だった)ので、図書館から参考書を借り、独学でシステムを作ったため時間はかかりましたが、他の誰も使えなかったソフトによる管理システムを作ることができました。

ソフトウェアシステムの画像

「改善のネタを探し回る」

システムの構築ができたら、職場で起こっている問題を探し回りました。上司、同僚、仕事の依頼者とコミュニケーションを取り、問題になっている部分に自分の作ったシステムを応用して解決していきました。
特に役立ったのは、開発の記録をトレースできる管理システムでした。その当時、紙媒体で開発の記録を保管していたため、何かを調べる時には、何百枚もある作業伝票の中から、該当するものを見つけ出さなくてはならず、作業記録をトレースするシステムは大きな武器となりました。

「基本の繰り返し」

 システムを作った後も、いろいろな武器を作り続けました。それは最初の職場で培った基本の繰り返しです。
・新しい問題を見つける
・見つけた問題の対策を立てる
・立てた対策の効果を確認する
・効果をさらに効率化したり、他チームに水平展開する
これらを繰り返すことで、自分のチームだけでなく、他のチームとも連携が取れるようになり、新しい情報の交換や意見交換にもなりました。いわゆるPDCAと言われる行動で、社会では当たり前の活動ですが、当たり前のことを当たり前にやり続けるのは本当に難しい。しかし、継続することで確実に効果を発揮できます。

PDCAの図版

「最後に」

私は学生時代から勉強に対して拒否反応を起こすタイプの人間でした。しかし、現在の私が充実感を得られているのは、学生時代や、社会人になってから身につけたもののおかげです。勉強しているときは「こんなもの役に立つのか?」と思いながらも、後から振り返れば「知ってて良かった」となったのです。
ほんの少しでも現状を変えようと思ったら、あとは本を読んだり、技術を持っている人に教えてもらうことで自分の武器を作れます。


今私は、今までの武器とは全く違う技術を勉強中です。これまた何も知らないところから、独学で勉強しているので時間はかかっています。小学生の息子と一緒に勉強していても、息子の方が深く理解していて、私に教えてくれるほどですが、この新しい武器のおかげで開発現場の作業効率がグンと上がりました。小学生が理解し、実戦できるような技術が、新製品開発の現場でも役に立つんだ!と感じております。


この文章を読んでいる皆様が、もしも何かを学んでいるのなら、今はすべてを理解しなくても「こんなことがある」ということを知っているだけで、自分の武器になることを覚えていただければと思います。
長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

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