働き方改革が施行されたことにより、会社の体制や制度が変わったなんて人も多いと思います。企業も個人も今まで以上にビジネスマンのキャリア展望に目が向けられている中、マーキャリ会員によるキャリアチェンジに伴った体験談をシリーズものとして連載していくのが本企画です。
今まさに自身の今後のビジネスライフに向けて働き方を変える動きをしている方もまだキャリアプランが漠然としている方も参考になる内容になっておりますので是非ご覧ください。
今回の記事投稿者:猫村仁奈さん
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はじめまして、フリーランスWebライター1年目の猫村仁奈です。
私は先日、新卒で入社した橋梁設計事務所を退職し、晴れて念願のフリーランスWebライターへと転身を果たしました。2020年からは組織の力を借りずに、野良猫のようにのらりくらりと気ままライフを楽しもうと思います。
この記事では、英語英文学科出身の私がなぜ、全くジャンル違いの橋梁設計事務所へと入社し、1年で退職し、フリーランスWebライターになったのかについてお話しします。
自己紹介
はじめに私について簡単に自己紹介をします。
冒頭でも少し書きましたが、私、猫村仁奈(ねこむらにな)は某市立短期大学の英語英文学科を卒業後、地元の小さな道路・橋梁設計事務所へ宛てもコネもなく入社しました。
それから1年間、『設計業務未経験の文系女子CADオペレーター』としての肩書きを預かったにもかかわらず、みっちりと基礎をたたき込まれながら実際に建築される橋梁や歩道橋をぶっつけ本番で作画するという激務をこなしました。
そして仕事内容は楽しかったものの、あまりの激務に体調を崩し、1年皆勤を目前に退職しました。
それから現在21歳となった私は、フリーランスWebライターとして主にクラウドソーシングを介してお仕事をしています。
私生活面では非常に多趣味で、絵を描いたりミュージカルを見たり、カフェに入り浸ったり本を読んだり、写真撮影をして人生を謳歌しています。
2度経験したキャリアチェンジ
私の中のキャリアチェンジは大きく分けて2度ありました。
ひとつめは15年続けた英語学習者からCADオペレーターへの転身で、もうひとつはCADオペレーターからWebライターへの転身です。
CADオペレーターとして勤め始めるときはキャリアチェンジのための準備や勉強はしませんでしたが、Webライターになる際は半年前から副業ライターとして少しずつ記事を書く練習を積みました。
2度のキャリアチェンジの本当の理由
21歳にして2度のキャリアチェンジを経験した私は、友人や親戚に度々その理由を聞かれます。いつも『その方が面白そうだった』と答えていますが、本当はそれだけの理由ではありませんでした。
今思えば、英語が得意なのにCADオペレーターへ転身した本当の理由は、英語を仕事にする自信が無かったからでした。
海外留学を経験しても、外国人の友だちが増えても、心のどこかで『私は英語ができない』と自分自身を卑下している私がいました。
CADオペレーターとして働くことはとても楽しかったですが、どこか煮え切らない気持ちのまま半年ほど過ごし、ある日『フリーランス』という働き方があることを知りました。
フリーで活動するエンジニアやカメラマンがいることは知っていましたが、Webライターや翻訳者、イラストレーターなどの職業でも、フリーランスとして働くことができるとは知りませんでした。そして、その世界はとても輝いて見えました。
体調不良で退職した後は、第二新卒として転職しようと考えていましたが、これを転機だと捉え『フリーランスになる』と心に決めました。
Webライターを選んだのは、元から文章を書くことが好きだったことと、他に今すぐキャリアに繋がる強い経験を持っていないからという2つの理由があります。
さて、英語学習で自分を誇りに思うことができなかった後悔はもうしないと一大決心した私は、フリーランス翻訳者や日本語講師(訪日外国人に日本語を教える講師)も目指すことを条件に課して、フリーランスWebライターとしてのキャリアをスタートしました。
フリーランスWebライターの道に活かされた4つの経験
パソコン業務経験
CADオペレーターとして会社では毎日パソコンを触っていたので、Webライターとして働くために必要なパソコンの基本操作やキーボードのブラインドタッチが容易にできることが1つの利点でした。
就職・学習経験
フリーランスWebライターになってまだ数ヶ月ですが、既に英語学習や転職・退職についての記事を数本書かせていただくことが出来ました。
キャリアスタート時でまだ実績が少ない場合でも、経験の豊かさを上手くアピールすることができれば、新たな記事に繋がることを実感しました。
その実感を得られた具体的なエピソードでいうと、工学部の学生を対象にしたお役立ち情報の記事、という依頼に応募した時の話が挙げられます。
『元建築学生、理系出身者に依頼したい』とされていましたが勇気を出して応募したところ、『元設計事務所勤務の女性なので工学系女子学生に向けて現場の生の声を届けられる』と、執筆を任せていただくことができました。
学術論文執筆経験
短期大学ではイギリス文学研究ゼミに所属しており、卒業時には10000字程度の論文提出が必須でした。毎日毎日飽きることなく図書館とゼミ室と教授の部屋とを駆け回り、リサーチと執筆を繰り返した経験は、現在Webライターとして文章を書くための底力になっていると実感しています。
豊富な知的好奇心
これは経験・スキルとは少し違うかもしれませんが、私は幼少期から様々なものへ強く興味を示し、学んだり表現したりすることが大好きでした。
家族はそんな私を見て、あまり否定をすることはなく寧ろ、様々な習い事をさせてくれました。就職の際にも、今まで努力してきた英語とは全く違う分野で働くと言った私を、嫌な顔をせず送り出してくれました。
このように、好奇心が認められるという成功体験は私がフリーランスを選んだきっかけの1つのように思います。
フリーランスWebライターになって大変だった3つのこと
フリーランスとして独立したら、今までのアルバイト勤務や会社勤めの時のように自分を守ってくれる存在は誰1人としていません。そのため苦労も多く、ため息をつく日もありました。特に大変だと感じたことを3つ紹介します。
はじめは記事単価が安いこと
私がWebライターを始めて最初に受けた仕事は文字単価が0.3円で1000字以上書くというものでした。1000字書くのに1時間かけたとして、時給換算ではたったの300円です。それならばアルバイトでもした方が効率的だなんて思う場面が多くありました。それでもめげなかったのは、文章を書くことが凄く楽しくて、辞めたくないと強く思ったからです。
営業は全て自力でこなすこと
フリーランスとして働く以上、会社員の『営業』のように自らのスキルを売り込んでいく必要があります。しかし会社員と違い、営業中の給料はありません。ましてや、送った営業メッセージが全て採用されるわけではなく、多いときでは半分以上が仕事に繋がらない、なんてこともありました。
自分の信用は自分でつくること
クラウドソーシングサービスには、ライターを評価する機能があります。万が一、クライアントからの連絡を無視して心証を害してしまったり、誤字脱字が多く内容も薄い記事を納品してしまったり、依頼内容の期日をないがしろにしてしまったら、全ての責任を被るのは自分自身です。
悪い評価を1度もらってしまうと、並大抵の努力では挽回することができないので常に気をつけなければなりません。
成果をだせたこと
始めは1文字0.3円で10記事ほど執筆していましたが、実績や客観的な評価がつくにつれて次第と1文字0.6円、0.8円と単価が上がっていきました。
現在では文字単価0.7円以上のお仕事を中心に応募していますが、それでも私に任せたいと言ってくださる方が少しずつ増えてきたことが1つの成果です。
また、主観的なもので言うと、1記事あたりにかかる時間が徐々に短縮されていることや、言葉のレパートリーが増えたことも成果だと思います。
経験を積むうちに気がついたことは、フリーランスWebライターは、自身の経験や知識の引き出しの広さがそのまま武器になるということです。現在21歳にして大きなキャリアチェンジを2度経験している私は、仕事に繋がる情報量が多いことが強みになっています。
おわりに
フリーランスWebライターは、散らばった言葉や情報を丁寧にコーディネートして、それをクライアントに認められ、そして最後に、出来上がった記事を人に読んでもらって初めて成り立つ仕事です。
それはとても難しい仕事ですが、数あるライターの中から私を選んでもらえた時や納品した記事を褒めてもらえた時の喜びは計り知れません。
1度目のキャリアチェンジでは後悔してしましたが、2度目のキャリアチェンジをした今はとても楽しくて自分を誇りに思います。そして、1度目の後悔は決して無駄じゃなかったと、今なら言うことができます。
楽しかった経験も、辛くて逃げ出した経験も、後悔ばかりの経験も全て『私』を彩る武器となってくれました。一見何のつながりも無いような経験もやがては洗練され、他の誰にも作ることができないオーダーメイドの、最高のドレスとなります。
『あのとき、ああすればよかったなあ』
過去の自分にそう思い続けているならば、もう一度立ち上がることを諦めないでください。
そして、選択を誤った自分を責めることなく、褒めてあげてくださいね。
今後はフリーランスWebライターとしてさらなるキャリアアップを目指して、且つ翻訳者や日本語講師としても活躍できるように、私という人間を磨き上げられるよう全力疾走していこうと想います。