• 2020/07/27
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日本語教師から人材営業へ。自分の知識の活かし方【キャリアチェンジ体験記】

  • マーキャリ会員  
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目次

【キャリアチェンジ体験記とは】
働き方改革が施行されたことにより、会社の体制や制度が変わったなんて人も多いと思います。企業も個人も今まで以上にビジネスマンのキャリア展望に目が向けられている中、マーキャリ会員によるキャリアチェンジに伴った体験談をシリーズものとして連載していくのが本企画です。

今まさに自身の今後のビジネスライフに向けて働き方を変える動きをしている方もまだキャリアプランが漠然としている方も参考になる内容になっておりますので是非ご覧ください。

今回の記事投稿者:山口初穂さん
⇒山口初穂さんのバイオグラフィはこちらをクリック

自己紹介

はじめまして!日本語教師から人材営業に転職した山口初穂です。未婚の母で、毎日3歳児と奮闘しながら生活しております。

日本語教師の経歴としてはフィリピン1年インド1年半ほど、その後は東京で約12年です。東京ではいろいろ学校で働いたりしたかったので非常勤講師をしていました。はじめのころは自分に合う学校には恵まれずズルズルして、自分でもうまくいっている実感は持てなかったです。その不調な時期に現実から逃げるように結婚をしたのですが、結局は仕事でつかめなかった幸せを結婚に求めただけだったので、相手ともバランスが取れず1年半で離婚しました。その数年後子どもの父親と出会い妊娠しました。離婚の反省も含めて自分らしく生きるために結婚をせず出産しました。

出産する数年前から日本語教師を卒業したかったのですが、いざ次何をする!と考えたとき、特にしたいことが見つからず困っていました。非常勤講師には産休手当もありませんから早く復帰もしたかったです。そして絶対保育園には入りたいので、書類をそろえていただくためだけに1タームだけ復帰し、その後は転職活動をする計画でした。というのも日本語教師は3カ月タームでスケジュールを立てるので、「来月辞めます。」というのが難しかったので、育児との両立を考え、働きながら転職活動という選択は私の環境では不可能だったのです。

いざ転職活動!

当時子どもは7カ月。そしてわたしは45歳。外国には住んでいたもののサバイバル英語しかできないし、特に資格もありません。派遣の登録にいっても「うちにはあなたの仕事はありません。」というのを婉曲に言われたこともあります。ある会社は不採用通知にはっきり「子どもが小さいので」と書いてありました。何社落ちたか覚えていません。

保育園の転職活動期限は2カ月です。もう時間がなくなってきたときに「外国人留学生にアルバイトを紹介する」というのがあり、応募しました。元日本語教師というのがあり簡単に合格しました。時間に融通が利いたのですが所詮アルバイトです。そして会社とも上司とも合わなかったのであちらから契約更新はされず10カ月で退社しました。

ちょうどそのとき日本語教師時代の元学生からいっしょに事業をしてほしいと言われ、イベント設営の人材事業をすることになりました。日本人が私1人で中国籍のモンゴル人兄弟とモンゴル籍のモンゴル人の4人でした。やっていくうちに兄弟のほうが予想以上に雑で仕事に対する考え方が甘いことに気づきました。私は元日本語教師なので彼らの言い分はわかるのですが、元請け企業様がご立腹なのは十分理解できました。これは続けていけないとハローワークで外国人技能実習生の組合に応募し、合格しました。

そして人材事業へ!

そこは経営者の方が中国人で、他の事業もしているのでほとんどの従業員が中国人です。そして最初のころは私以外営業もいませんでした。今までの営業活動自体は女性の社長がやっていました。社長は「わからないことがあったら何でも聞いて。」と言うので、「企業分析はどうやってしますか。」と聞くと「そんなものはない。」と返ってきます。彼女は自分のネットワークでの営業活動をしていたので、私にはまったく役に立ちません。そして聞いていた給料よりも少し安く、郊外へ行かない限り直帰もしてはいけなかったので、毎日延長保育で毎月2万5千円くらいかかっていました。

モチベーションも下がる一方で将来が見えてこなくなったので、働きながら転職活動を始めました。当時46歳で営業の条件が35~38歳までのところが多く、面接まで進めたのは1社でした。そこで合格をいただきました。

会社員から自営へ!

採用になった企業は名古屋にあり、わたしたちは東京進出の1期生です。研修は2週間ほど名古屋で行われ、東京に戻り営業活動を開始しました。面接時は名古屋から誰か常駐していただけると聞いていましたが、朝と帰宅時とオンラインで名古屋の上司に報告するだけです。しかも上司たちは全員愛知県近郊での営業活動の経験しかなかったので、報告しても営業活動についての詳細は伝わりませんし、適切なアドバイスはいただけません。

ですが、数字、数字と警告してきます。どの上司も『営業が取れていなくても仲良くなった社長などに「私は今月の目標数字が達成できていないので、なんとかお願いします!」と嘆願してみろ』というまるで消費物を売るような指導しかしてきません。そんな非人道的な指導を受けたり、思いつきの押し付けが多かったり、入社時にお願いしていた育児との両立は口だけでまったく理解がなかったり、東京進出についても市場調査すらしていなかったことが明確になったりして、不安や不信感が日々増すばかりです。

退社を具体的に考えなきゃと思っていたころに異動を言われました。異動になると給与も下がるし、異動理由が理解できませんでした。そしてその会社における私の将来のポジションのお話をいただいたのですが、そのポジションに抜擢したい理由が絶対成功しないビジョンだと思えたので、退社を決めました。 それから今まで知り合った人材関係の方に自分を売り込み、4社に私個人とご協業のご承諾をいただき、フリーで働くようになりました。

私のセールスポイントは外国人を扱う知識

日本語教師では外国にいた頃は現地の人に教えていました。東京へ来てからは留学生、社会人、合計2,000人くらいの方の指導をしてきました。それが外国人人材業界に入ってから多分に役に立ちました。わたしが経験した3社だけではありませんが、人材会社の多くは外国人に関してあまり知識がありませんし、興味すら示さない方もいます。そんな中でしっかりと雇用者も非雇用者にも喜んでいただけるサービスができることがわたしの武器だと思っています。

コロナの影響

まず営業にいけなくなりました。そして解雇者が265万、隠れ解雇者を含めると517万人とも言われています。2020年に入ったばかりは人手不足と言われていましたが、6月の時点でどこの会社も充足しています。そんな中でいくつかの会社の管理職は一過性のものと判断し、次に向けて採用計画案を考えているのも確かです。

私にとっては企業様の次がいつ来るのか、そしてコロナの第2波はいつ来てどのくらいで終息するのかが今後のポイントになってくると思います。

キャリアチェンジの思うところ

私の場合はいきなりキャリアチェンジを考えたのではなく、まずフィールド/ステージを変えることを考えました。当時は日本語学校がメインだったので、学をつけて大学で教えることを目標にしました。通信制の大学に入学したりもしましたが、いろいろ調べたり、進めていくうちに腑に落ちないことが多くなってきて、キャリアチェンジに切り替えました。

私は子供がいるので、それを本当の意味で考慮してくれる方とお会いするための努力が必要だとも感じました。
譲れるところと譲れないところを明確にすることも大切ですよね。

私は自分ができることから頑張るようにしています。お金がなくても、無理なアルバイトもせずしっかり睡眠をとります。
大きな目標などはなくてもいいと思います。ブレず、しっかりやっていくことがキャリアチェンジしても自信が持てる秘訣だと考えます。

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