• 2020/06/17
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“誠実さ”があれば、必ず独立起業の道も切り開ける【キャリアチェンジ体験記】

  • マーキャリ会員  
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目次

【キャリアチェンジ体験記とは】
働き方改革が施行されたことにより、会社の体制や制度が変わったなんて人も多いと思います。企業も個人も今まで以上にビジネスマンのキャリア展望に目が向けられている中、マーキャリ会員によるキャリアチェンジに伴った体験談をシリーズものとして連載していくのが本企画です。

今まさに自身の今後のビジネスライフに向けて働き方を変える動きをしている方もまだキャリアプランが漠然としている方も参考になる内容になっておりますので是非ご覧ください。

今回の記事投稿者:安田将大さん
⇒安田将大さんのバイオグラフィはこちらをクリック

自己紹介

皆様はじめまして。都内で不動産会社を経営しています安田将大と申します。

元々サラリーマンだった私が独立起業したのは40歳の時でした。それまで会社勤めしていた時とは全く違う業種でのチャレンジで、知識も経験も少ない状態からのスタートでした。

そんな私の経験談についてお話しします。

社会人としての第一歩

私は大学卒業した後、中堅出版会社に就職しました。幼い頃から読書が大好きだったので、本に纏わる仕事がしたいというのが志望動機でした。
編集部勤務で希望を出していた所、希望が叶い編集部に配属されました。まずは一般的に新入社員が体験するような新人研修から始まり、研修終了後は雑用から業務をスタートしました。

私は学生時代から勉強も部活動でのスポーツなども、とにかく正面から一生懸命取り組んできましたので、会社で最初に与えられた毎日の雑用の数々にも真正面から取り組みました。今思えば、かなり暑苦しい奴だという印象だったと思います。

しかし、一生懸命取り組めば成果が出るのも早いもので、他の同期に先駆けて雑用期間を終了し、編集の実務を少しずつ任せてもらえるようになりました。そこで、編集のノウハウや、ライティングや取材、データ入力など日々の業務をトライ&エラーを繰り返しながら習得し、実績を上げて行きました。

苦労しながらではありましたが、とにかく全力で取り組み、比較的スムーズに上席に仕事を認めてもらえるようになりました。

全く業務内容の違う部署へ

会社に入って数年経ち、役職も徐々に上がってきた頃、役員から呼ばれました。

「君は体育会のノリで明るい性格だから営業の方がもっと力を発揮できるんじゃない?」とさらに役職を上げた上で営業職へ移動する事を打診されたのです。

評価されたのは嬉しいものの、編集の私にとって営業はあまりにも違う業務です。正直な気持ちとしては、恐怖を感じました。

しかし、当時読んでいた本に書かれていた『世の中に起こる全ては必然である。偶然は無い。』という言葉に後押しされ、新たな未来への一歩を踏み出そうと気持ちを切り替えてチャレンジすることにしました。

そうは言っても、営業は本当にこれまでの編集と全く異なる世界です。

そこで、私は「まずは知識だけでもどかっとインプットしよう」と、近くの書店に行き、そこの書店にあった営業に関する書籍、棚3段分の全てを買って読破することにしました。ちなみに、もちろん本代は自腹です。

新たな部署でのチャレンジ

とにかくまずは関連書籍の読破からスタートしようということで、購入した営業本を片っ端から読んでいった所、どの本にも共通して書かれていたのは、『営業はとにかく心が折れやすい』ということでした。

営業マンの多くにありがちな事は、『うだうだしてなかなか会社を出ることができない人がとても多い』ということ。そして、『会社を出た後も喫茶店にしけこんだりしてなかなか営業先に行かないことが多い』とも書かれていました。

そこでどうすれば良いかというと、まずはとにかく「行ってきま〜す!」と元気良く会社を飛び出ること、そして、喫茶店に入ったり公園でモジモジすることなく、とにかくどこにも寄らずに一件目の営業先に飛び込むことが大切だと書かれていました。

さらには、『営業の成果は営業件数に比例する』ということ、そしてその為にまずは『営業件数を上げる努力が一番大切である』ことを学びました。

それらの貴重なポイントを学んだ私でしたが、まだモチベーションが上がり切っていませんでした。そこで、学生時代から惹かれてずっと好んで読んでいた『論語』や『中庸』などの中国古典に、モチベーションを上げるヒントを探しました。

その際に、「最も大切なのは誠実さである」という旨の文章に触れました。私はその内容に打たれました。「これだ!全てを『誠実』に取り組むことを自分の人生のモットーにしよう」と心に決めることができ、情熱の火を付けることが出来たのでした。

そんな私は、実際に営業の仕事が始まると、とにかく『1つ1つ誠実に取り組むこと』を信条に、朝は誰よりも早く「行ってきま〜す!」と会社を飛び出し、脇目を振らず一社目の営業先に突撃していき、訪問できる一番早い時刻から、もうこれ以上は迷惑になるので訪問できない夜になるまで同僚の誰よりも長い時間営業訪問をしました。

つまり、当時自社の平均的な営業マンの2倍を超える件数の訪問営業を毎日毎日続けました。

同時に、お客様に対して誠実であるために、自分の事を一切考慮に入れずお客様のお役に立つことだけを考えて実行するという、顧客ファーストの姿勢を徹底しました。

その結果、営業に転向して3ヶ月で営業成績トップを取ることができ、その後ずっとトップ営業マンの座をキープすることができたのです。

仕事ぶりを認められ責任者に昇格

すると、営業に誠心誠意尽くす私の姿を見た社長から声が掛り、当時新規に立ち上がった映像制作の部署の責任者に任命されることになりました。さらにその後兼務として、新設されたホームページ制作部署の責任者も任命されました。

さらには、その2部署を軌道に乗せた私は、グループ企業のイベント会社の役員も兼務することになりました。

その会社は、クラシックコンサートや日本の伝統芸能などを日本全国や海外などで企画開催する会社でした。

誠実な対応で人脈が拡がって行く

それからの私の毎日は、日本全国や海外を飛び回り、イベントの開催準備や本番当日の運営をする日々へと変わりました。

海外イベントではエージェントを通しての現地とのやりとりになりますが、日本国内でのイベントで野外の会場や駐車場などを確保する際には、現地の不動産屋さんが大きな力になってくれました。

その為、私はイベントの開催を重ねる度に、日本全国のご当地不動産屋の社長さん達と仲良くなって行きました。

地方の力のある不動産屋の社長さんは、だいたい70歳前後と当時40歳前の私にとっては、30以上歳が離れていました。何事にも誠実さを第一にしていた私としては、社長さん達に対しても終始誠実なお付き合いを心がけました。

その結果、多くの社長さんから子供や家族のように可愛がってもらえるようになって行きました。

40歳で人生プラン通りに独立を決意する

ところで、私は学生時代に、当時読んでいた本に影響されてから自分の人生プランを計画していました。

振り返ると、その時に計画したことはこれまで大筋叶っています。その人生プランの中の1つに『40歳で独立起業する』というものがありました。業種こそ想定していませんでしたが、40歳で起業することを考えていたのです。

そこで、実際に40歳を迎える年になり、私は兼ねてからの計画通りに独立起業をすることにしました。

社長に労をねぎらわれつつ円満退社する

起業するにしても、何の業種にするか決まっていません。そこで、私は当時懇意にして頂いていた地方の不動産社長さん達に起業したいという思いを伝え、相談に乗ってもらいました。

するとその社長さん達は「全部教えてあげるから不動産業をやったら良いよ」と言って下さったのです。私はいきなり10人を超える経営コンサルタント、アドバイザーを得たのでした。

多数の心強い味方を得た私は不動産会社を設立する事を決め、会社に退社する旨を伝えました。

当時の社長は私のこれまでの労をねぎらって下さり、無事に円満退社することができました。

会社設立に着手する

いよいよ起業をスタートした私でしたが、そうは言っても会社の設立の仕方も不動産業の事も全く何も知識がありません。そこで、退職金を基にして特に親身になってくれていた3人の社長の元へ、飛行機や新幹線を使って教えを乞いに行きました。

皆さん、お忙しい最中にも関わらず時間を割いて下さって、豊富な経験を基にしたノウハウを丁寧に教えて下さいました。私はそれぞれの会社の近くで宿泊を取り、短期合宿のような形の泊まり込みで勉強させて頂きました。

会社の設立

先輩社長からは、『会社の登記の仕方』や『届け出る必要のある役所や機関とその手続き』などの会社の設立の仕方、そして、不動産業者としての『認可の受け方』と『収益の上げ方』など、多岐に渡って詳しく教わりました。

深い内容の事が多くてすぐに理解出来ない事も多々ありましたが、何度も質問を重ねて分かるまで教えて頂きました。

そして、それらの合宿を経て理解を深めた後、いよいよ起業に取り掛かりました。

私は司法書士に依頼せずに全て自分で手続きすることを選びましたので、まずは、数回に渡って法務局へ相談を行い、登記の準備書類の内容の添削を受けながら作成していきました。同時に定款の作成を進めました。印鑑などを作ったのもこの頃だったと思います。

全ての書類を作成し、公証役場で定款の認証手続きを行い、そして、法務局で登記申請をしました。数日後、登記完了の確認が取れて、無事に会社を設立することができました。

その後、役所や年金事務所などの必要な届け出を全て行いました。

宅建業者になるための苦労

私は不動産会社を設立するので『宅地建物取引業者』になる必要がありました。つまり会社として宅建業の免許の所得が必要でした。

その為には、『免許の申請』『免許所得時にかかるお金(営業保証金や免許申請手数料など)』『事務所』『専任の宅地建物取引士』などが必要でした。

まず免許の申請の仕方は、地元の宅建協会に何度も通って必要書類や記入の仕方を教わりながら書類を作成していきました。何度も何度もアポイントメントをとって足を運んだのを覚えています。

宅建業の免許所得時には、営業保証金や免許申請の為に数百万円のお金が必要になります。当時の退職金はこれで大半を使ってしまいました。

事務所を借りるのは、個人で借りるのとほぼ同じイメージです。ただ敷金礼金や家賃一ヶ月分などが必要になるために、さらに手元の資金がグッと減ったのでさらに不安感は高まりました。

宅建業者には、1事業所で業に携わる社員5人毎に対して1人以上の専任宅建士が必要です。これに関しては、先輩社長達が豊富な人脈を活かして私が会社を作る地域にいる他の会社に所属していないなどの条件を満たす人達を紹介してくれました。私はその中から一番合った人を選び、専任宅建士として社員になってもらいました。

文字にするとこれだけのことですが、実際はかなり大変なトライ&エラーの連続でした。その度に、先輩社長達に教えてもらい、宅建協会にも何度も教わりながら、一歩ずつ手続きを進めて行きました。その結果、無事に宅建業者の免許を所得することができ、宅建業をスタートすることができました。

先輩に助けて頂きながら初年度から黒字化に成功!

しかし、この時点ではまだスタートラインに立っただけです。会社としてはここから収益を上げていかねばなりません。

私の会社は、諸先輩のアドバイスから、賃貸の仲介は行わず土地や建物の『売買の仲介』に特化したビジネスで行くことを決めていました。その際に必要なのは、『売ってくれる物件を持っている売り主』と『購入してくれる買い主』です。

ここで私を助けてくれたのは、またしても先輩社長さん達でした。
私の事を子供や孫のように可愛がってくれている全国の約10名の先輩社長さん達が、「こんな物件を持っている売り主さんを紹介してあげようか」「もし物件があれば、うちのお客さんに紹介してあげるよ」というように、物凄く親身になって力を貸して下さったのです。

また、会社勤め時代のイベント業での取引先だった社長さん達も、『不動産物件を持つ売り主候補』や『不動産を購入したい買い主候補』のご友人や知人を次々と紹介して下さいました。

これらは、私がサラリーマン時代からずっと一貫して全てにおいて『誠実』を第一にして、それだけを念頭に置いて全身全霊尽くしてきたのを見て信頼して下さったのでした。この『信頼』があったからこそ、これらの皆さんが家族のように身内のように親身になって助けて下さったのでした。

こういった様に、皆様のお力添えのお陰で、私の会社は初年度から予想以上に順調な形で収益を上げていくことができたのでした。

まとめ

以上が私のサラリーマンから異業種で独立起業して行った経験談です。

こういった経験を積んでいますので、私は何と言ってもビジネスにおいては『誠実さ』が一番大切だと思っています。

1つ1つの物事に対して、全て誠実に取り組むことで必ず信頼を得られます。その信頼が積み重なってくると、人を通して必ず自分に幸せな形となって返ってきます。

これから起業や独立、キャリアアップを目指す方も、この『誠実さ』というものを積み重ねて頂ければ必ずそれはご自身の幸せな結果へと繋がっていくと思います。

私は自分自身の経験から、皆様に自信を持ってそのことをお伝えしたいと思います。

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