働き方改革が施行されたことにより、会社の体制や制度が変わったなんて人も多いと思います。企業も個人も今まで以上にビジネスマンのキャリア展望に目が向けられている中、マーキャリ会員によるキャリアチェンジに伴った体験談をシリーズものとして連載していくのが本企画です。
今まさに自身の今後のビジネスライフに向けて働き方を変える動きをしている方もまだキャリアプランが漠然としている方も参考になる内容になっておりますので是非ご覧ください。
今回の記事投稿者:工藤奈々海さん
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1. 自己紹介
はじめまして。工藤 奈々海(くどう ななみ)と申します。
関西出身で、大学時代は関東で4年間過ごしましたが、就職活動で納得した結果を得ることができず就職先を決めないまま卒業後は地元に戻ってきました。
大学卒業後から3年間、フリーター(定職に就かずアルバイト)をしていました。
そのフリーター生活で接客業や日本語教師など仕事を掛け持ちする日々が続きましたが、経済的、身体的に限界を感じ、正社員への転職を決めました。
現在は、オセアニアのフィジーという国で、日本からフィジーに来る日本人留学生のためのサポートオフィスでカウンセラーをしています。
今回は、この3年間のフリーター生活から抜け出すために正社員に転職したお話を皆様にできればなと考えております。
これからキャリアチェンジを考えられていらっしゃる方のお役に少しでも立てれば幸いにございます。
2. アルバイトの掛け持ちで耐えた3年間
フリーター生活最初の1年間は、日本語教師になる資格をとるため、大阪にあるヒューマンアカデミーに通っていました。
日本語教師とは、外国人に日本語を教える先生のことです。
大学3年生の就職活動の際、海外で働きたいという小さいころからの淡い夢がありましたが、結局叶えられず、納得できる結果が得られなかったため、地元に戻ってきました。
ただ、やはり海外で働きたいという想いは枯れることがなく、「日本語教師」という職業を目指すことになったのです。
ヒューマンアカデミーでは毎日授業があるわけではなかったので、授業がない日はアパレル関係やホテルのフロントなど接客業のアルバイトをしておりました。
日本語教師の資格が取れてからすぐに関西の日本語学校で非常勤講師として勤務を開始しましたが、週に2,3日しか担当の授業がなかったため、日本語教師になってからも接客のアルバイトを続けておりました。
3. 転職しようと思ったきっかけ
ただし、ここで問題が発生したのです。
日本語教師を始めて1年が経ち、待遇の悪さと休日のなさに疲弊しておりました。
というのも、日本語教師をはじめ、教壇に立ってものを教える教師という仕事は、教案作り、教材の準備、リハーサルなど「授業の予習」に膨大な時間がかかるということがわかったのです。
休日には1日中、翌日の授業に備えて教科書や文法書とにらめっこし、気づけば夕方になっていました。
もちろんその分を含めて、非常勤講師は1コマ1800円とか2000円という相場ではありますが、テスト期間になればテストの作成、採点、大学受験の時期になれば進路の相談、補習など、授業以外の業務が襲いかかってきます。
言うまでもなく、どの仕事にも準備がつきもので、もはや残業ゼロの仕事などほとんどないかもしれませんが、それでも自分が行っている「準備」や時間外労働を考えたときに、待遇が本当に恵まれていないと納得できない日々が続いたのでした。
その当時は日本語教師とホテルの夜勤を続けていて、月に2日ぐらいしか休みがなく毎日のように働いていたのに、ただただ生活が苦しくなるだけで身体がもたないということに気づきました。
働いて働いてやっといただいたお給料は税金と保険で消えていき、夜勤で疲れて帰ってきたら1日寝て終わる…そんな生活から早く抜け出したいと思うようになりました。
さらに、私の友人の多くは、週休2日、しかも祝日はしっかり休みのいわゆるカレンダー通りに働いている会社員もいて、彼らの生活をSNSで見るたびに、「彼らは週に2日も休んでいるのになんで旅行に行ったりBBQをしたり贅沢できるんだ」と一種の嫉妬を抱いていました。
そして、当初抱いていた「海外で働きたい」という夢も廃れかけていました
待遇の悪さ、体力の消耗、将来の不安…
両親にも迷惑をかけていることは明白だったため、毎日のように正社員への転職を考えるようになりました。
しかし、正社員になれば当然今までになかったような責任感ものしかかり、残業もあるし、仕事に追われる毎日になる。
でもフリーターなら好きな時に働けるし、好きな時に休める、アルバイトという身は気軽でそういうところが大きなメリットでした。
そのため、転職したほうがいいとはわかっていてもなかなかその責任感や拘束が怖くなり、正社員になることに踏み出せずにいました。
4. 転職を決めた決定的なできごと
ついに、正社員になろうと決心したできごとがありました。
2017年6月、女優の小林麻央さんが乳がんで亡くなられたことが転職に踏み出す大きなきっかけとなりました。
その訃報を知った時、「今のままの私では、もし両親や自分の大切な人が病気になっても、何もしてあげられない」と冷や汗をかいていました。
それで両親や自分の大切な人を亡くすのを想像すると、働かずにはいられなくなり、「言い訳せずに、ふらふらしないでちゃんと働こう。」と腹をくくったのでした。
次の日には転職サイトに登録していました。
運とタイミング、相性がよく、現在働いているフィジーの留学会社に初めての正社員として勤務することにになりました。
5. 前職のスキル、もともと持っていたスキルが現職にどう活かされたか
・教育現場で働くということ
前職の日本語学校との共通点は、高校生ぐらいの年代の学生と接するということでした。
親元を離れ、海を渡ってきた未成年の学生たちを生活面、勉強面で支えるという意味では前職の経験が大いに活かされました。
たとえば、授業で寝ている学生、校則を破る学生、特別なカウンセリングが必要な学生、なかなか心を開いてくれない学生…
一筋縄ではいきませんが、経験を積みながら学生によって話し方や接し方を変えるということが現職でも求められました。
・丁寧な言葉遣い、正しい日本語
ホテルで働いていたことと、日本語教師をしていたこともあり、メールでの文面や敬語、漢字にはより一層気を遣う習慣がついていました。
誤字脱字が多いメールは相手に不信感を与えますし、敬語がうまく使えていない人と接すると不快感を感じますので、そのような心がけは現在でも活きていると思います。
・メンタルと体力
自分で言うことも恐れ多いですが、大学時代には体育会の部活で上下関係をたたき込まれたこと、フリーターではほぼ休みなく働き続けたことから、メンタルや体力には女子の割には強いという自負がありました。
特に、あまり英語ができないので英語での電話やミーティングには半年ぐらいはかなり苦労したのですが、持ち前の継続力、不屈の精神で、英語だけでなくフィジー語も覚えてコミュニケーションを図るようにするようにしたり、休みの日にTOEICの勉強をしたりと、苦手を克服できるよう努力を怠りませんでした。
6. 転職後最初大変だったこと
①英語でのコミュニケーション
前述したように、英会話が得意ではなかったので、顔が見えない電話での会話や、ビジネス用語が飛び交う会議、複雑な会話では、自分の言いたいことが言えずいつも泣きそうになっていました。
②違いすぎる価値観、仕事観
「正社員になって」、というよりも、「海外に来て」苦労したという方が正しいと思います。
同僚がフィジー人で、彼らにはこのような問題がありました。
・とにかく仕事が遅い
・中途半端
・報告がない
・こちらがお願いしたことを忘れる
・渡した資料をことごとく失くす
・仕事が終わっていないくせに定時で帰る
・平気で遅刻してくる
・お金を借りに来る
・貸したものを返さない(ペン、ホッチキス、充電器、お金などすべて)
冗談ではありません。
毎日これらのうちのどれかでおこります。
しかも、これは新入社員ではなく、10年も働いているベテランがです。
ただ、これがおそらく彼らの国民性なので、私ががみがみ言っても仕方がないと思い、私は、新入社員を教育するつもりで彼らに接しています。
まず、忘れそうなことはメモしてください、遅刻・欠席などいつもと違うことが起こるときはまず連絡をしてください、という風に、こちらから歩み寄らないと変わらないのかもしれないと開き直りました。
彼らも、来たばかりの日本人の若僧に、がみがみ怒られて納得できないとなると関係性が悪化するだけなので、お互いの違いを認めてそのギャップを埋めるためには根気よく付き合うしかないのだなと自分を言い聞かせていました。
これが一番しんどかったし、今だに苦労しています。
③学生に心を開いてもらうこと、相談してもらえる存在になること
私と同じように働いていた日本人のカウンセラーの先輩がもう一人いて、私が働き出したころは、当たり前のように私のところに相談しに来てくれる学生は皆無でした。
たとえば、授業で困っていることがある、ホームステイ先でこういうことがあった、受験の相談をしたい、などことあるごとに学生は全員その先輩のカウンセラーに相談にいくのでした。
思春期の学生は特に、新人には興味はなく心も開いていないので全然見向きもしてくれませんでした。
先輩にも迷惑がかかるし、いずれその先輩は産休に入る予定だったので、仕事も学生の名前も覚えなければいけないと、焦燥感のみがあふれて何もできない日々が続きました。
そのため、まずは自分の、「人の誕生日を覚える」という特技を使って、積極的に名前と誕生日を覚え、「今日○○の誕生日だよね、おめでとう!」と声をかけるようにしました。
すると、それが徐々に広まって、先輩カウンセラーではなく自分に話しかけてくれるようになりました。
受験の相談を受けたときにはまずは親身になって話を聞くことに徹し、自分の経験を交えてヒントを与えたり、「こういう考え方もあるんじゃない」と角度を変えたアドバイスをすることにより、目を輝かせて帰っていく学生も見てきました。
自分の言葉でモチベーションが上がった学生を見ると、こちらも元気をもらい、仕事の活力になっていました。
7. 転職してよかったこと
カウンセラーという仕事柄、目に見えた成果というのは現れていませんが、心の底から転職してよかったと思います。
大きく分けて理由は3つあります。
①日本の外を見られたこと
あのとき転職をせずに日本を出なかったら、フィジーなんて国も知らなかっただろうし、途上国で生活することさえもなかったと思います。
日本での常識はフィジーでは全く通用しないし、仕事のやりかたも全然違う。
依頼のときの態度や、言葉の使いまわし、日本で感じる「周りの目」なども一切考えない堂々っぷり。
こんな国もあるんだなといい意味でも悪い意味でもたくさん吸収させていただきました。
日常のように起こる停電や断水で思うように仕事ができないのも、途上国の特徴です。日本で生活できることがどれだけ恵まれたことなのか思い知らされます。
② 英語が話せるようになったこと
渡航してきてからずっと英語に悩み、入社して半年ぐらいは上司や同僚にも迷惑をかけてばかりで、何度も仕事を辞めたいと思うことがありました。
思っていることがうまく言葉に出せない、相手の言っていることがわからずミスをするなど仕事以前の問題でつまづいていました。
しかし、そういう状況でもめげずに毎晩シャドーイングをしたり、TOEICの勉強をしたりと自分を追い詰めて勉強、実践を繰り返してきたことで、1年を超えたあたりでやっと相手の言っていることがわかり、それに反論したり、提案したりすることができるようになりました。
また、TOEICでも、渡航前よりも200点のスコアアップが実現できました。
人間、このように追い詰められた状態になるとと本気になれるんだなと実感しました。
③ 臨機応変さと柔軟さ
あきれるほどに、日本では起こりえないことが日常なので、臨機応変さや柔軟さはフィジーで培われたと思います。
たとえば、
・先生が前日までは元気だったのに、次の日いきなり産休に入る
・卒業式ではチーフゲストが遅れて2時間遅れで始まる
・学期末の個人面談の日に、成績表の準備が間に合っておらず渡されない
こんなことって絶対日本ではないと思うんです。
何が起こっても、「しょうがない、フィジーだから」とあきらめて、過去のことにはとらわれず、再度予定を組み直したり関係各所に連絡しまくったり、振り回されることも仕事の1つとして構えるようになりました。
かなり心の広い人間になれたと思います。(笑)
8. まとめ
転職に悩まれている方へ
このような私の経験が、誰かのお役に立てることは少ないと思いますが…
フリーターからも正社員になれるというのは証明されたと思います。
それに、新卒の時には特に内定ももらわずにのこのこ地元に帰ってきたどうしようもない娘でも、です。
転職することで、フリーターのときの悩みであった待遇面の悪さは解決されました。
また、海外で働きたいと思っていた幼いころからの夢が叶って信じられないと思うこともあります。
そして前職では経験できなかった独特な経験が積め、本当にフィジーに来てよかったと思います。
わたしたちには、世界中で知らないものが溢れています。
あなたの目の前に広がっている狭い世界にとらわれず、自分の可能性を信じてぜひ、チャレンジしてみてください。
経験は必ず、力になります!