働き方改革が施行されたことにより、会社の体制や制度が変わったなんて人も多いと思います。企業も個人も今まで以上にビジネスマンのキャリア展望に目が向けられている中、マーキャリ会員によるキャリアチェンジに伴った体験談をシリーズものとして連載していくのが本企画です。
今まさに自身の今後のビジネスライフに向けて働き方を変える動きをしている方もまだキャリアプランが漠然としている方も参考になる内容になっておりますので是非ご覧ください。
今回の記事投稿者:naoさん
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こんにちは。
現在は海外と日本を行き来しながら、オンラインスクールで外国人に日本語を教えているnaoです。
イギリス、インド、マレーシア、韓国等、約15か国の方々に日本語やビジネス会話の指導をしています。
大好きだった仕事を4年で辞めることになり、全くの異業種に転職したときの心の動きや、苦労についてお伝えしたいと思います。
空港で働いた4年間
日本語教師になる前は、関西空港でグランドハンドリング業務をつとめていました。
〇主な業務
飛行機が空港に到着後、
・旅客搭乗橋(タラップ)の装着脱
・飛行機への給水作業
・機内の備品が揃っているかのチェック
・各担当の機内準備の進捗状況を管理棟に無線で報告すること
・飛行機の旅客用のドアの開閉
この職場では、飛行機が到着してから出発するまでの短い時間に、飛行機内で、機内食、機内清掃、貨物搭載、整備士など様々な担当員と共に、それぞれの作業を迅速にこなし、互いに声をかけながら、飛行機が安全に時間通りに出発できるようにという1つの目標に向かって働いていました。
ここで働いた4年間を通して、コミュニケーション力や協調性、現場と状況をみて必要なことを瞬時に取捨選択する判断力等を身につけることができました。
キャリアチェンジまでの流れ
当時、その会社の女性社員は全て「契約社員」で、4年働いたら、契約満了という形で退社せざるを得ませんでした。空港という刺激的で華やかな職場を離れることは非常に名残惜しかったです。
とはいえ、失業手当をいただいてぼんやり過ごせば、社会から切り離されてしまうのではいかという不安が大きく、すぐに転職活動を始めました。
ところが、グランドハンドリングという特殊な技術を生かせる仕事はみつからず、さらに、給料や待遇より、やりがいを求める自分にとって、「やりたい仕事」がなかなか見つかりませんでした。
あれこれ考えた結果、焦って転職するより退職金を何か次のキャリアに生かそうと考えました。
資格取得のための情報を漁り、結局、留学をしようと思いました。
すると、留学斡旋のパンフレットを何冊か読んでいるうちに、海外で日本語を教えながら留学することに興味を持ち始めました。
そしてその興味が、自分でもなぜだかはわかりませんが、いつの間にか「日本語を教える」ことに変わりました。とにかく、ぼんやりした時間を過ごしたくなかったので、退職1か月後に日本語教師養成講座に通い始めました。
養成講座には9か月通い、そこでは同期生が10名ほどいました。その中で実際に日本語教師になったのは私を含めて4名でした。受講途中でやめてしまう人、資格はとったものの、実際の現場には立てないと思う人が多くいましたが、私は逆に、いかに早く卒業して現場に立つかを考えるぐらい、日本語教育にハマっていました。
資格を取得したからといって…
ところが実際には、養成講座を卒業し日本語教師としての資格を得たからといって、すぐに現場に立てるわけではなく、各日本語学校で講師を募集しているところに履歴書を送り、ことごとく不採用となる日々が続きました。
その中で1校、採用していただけるところが決まったときは本当に嬉しかったです。
働き始めて3年ぐらいは、授業準備にものすごく時間がかかり、授業前は落ち着かなくなるぐらい緊張し、さらに授業時間外でも学生のケアなどに時間をとられ、割に合わない、お給料に見合わない状況ではありましたが、気が付けば仕事に夢中になっていました。
キャリアチェンジが人生の転換点に
今思えば、このキャリアチェンジが自分の人生にとって大きな転換点となったわけですが、あのとき、「少しでも興味があればとりあえずやってみる」ことができたことが後につながったのだと思っています。
選択肢が多ければ多いほど、可能性が大きければ大きいほど、迷って動けなくなってしまいがちになるところを、少し勇気を出して踏み出せたこと、つまり、日本語教師養成講座に通うと決めたことで、新たな楽しみを見つけることができました。
夢中で仕事をした結果
日本語教師になって5年目で、大手校でレベル統括を任されるようになりました。
それまでなら、自分だけが結果を出せばよかったのが、他の講師、他のクラスの運営を統括することになり、大きなプレッシャーを感じました。
また、5年目でこのポジションに立つことにより、先輩や同期からも厳しい目で見られるようになりました。
当時は仕事とプライベートの線引きがほとんどないぐらい必死でしたが、仕事に追われているというより、仕事に夢中になっている感じでした。
6年目を半年過ぎた頃に学生数800人規模の日本語学科の全体統括を任されるようになりました。いつのまにか、日本語学習者に日本語を教えることから、現場統括責任者としての仕事が増えていきました。
なぜここまでこの仕事に夢中になれたのか、自分で真面目に振り返ったことはありませんでしたが、恐らくこの仕事の魅力は、自分の仕事に対するリアクションが目の前の日本語学習者から直接感じられることにあると思っています。さらにそのリアクション対象者は外国人であり、自分の予想をはるかに超えた反応があり、それが国籍の数だけ、学習者の数だけ、多種多様にあるので、日々新たな発見があります。これは今、日本語教師として14年目をむかえる今でも感じています。
責任の重さとやりがい
大手語学学校の日本語学科の全体統括担当としての仕事は、責任が重い分、自分が頭に描いていることを現場におろすことができ、非常にやりがいを感じることができました。
日々、それぞれの教室では数多くの日本語学習者が日本語を学び、悩みを抱え、それに対して日本語教師も悩みを抱えています。それを少しでも解決、改善できるよう考案し実践するよう心がけていました。
前職との比較
前職である、空港でのグランドハンドリング業務と日本語教師の仕事は、重なる部分はほぼありません。
強いていうなら、「海外とつながっていること」だと思います。自覚はしていませんでしたが、失業後、この先どうしようと考えていたとき、心のどこかで、空港でいつも肌に触れていた「海外とのつながり」を求めていたのかもしれません。
これからキャリアチェンジをしようと思っている方へ
まずは、自分の仕事に対する価値観と向き合うこと。
ここを曖昧なまま転職してしまうと、結局は続かないと思います。
私の場合は、やりたいことを仕事にしたい、という、ある意味むずかしい価値観をもっていましたが、そこに忠実な仕事をみつけられたおかげで長く楽しく仕事を続けることができています。
次に、ほんの少しでいいから勇気をもつこと。
リスクや失敗を恐れることは悪いことではありませんが、転職活動においてこれをしていては、本来の目的は達成できないと思います。
さらに、もしかしてこの先、もっといいチャンスがあるかもしれないと思って踏み出せないのももったいないです。
この「この先、もっといい〇〇がある(いる)かもしれない」と思うのは企業側も同じであり、結局はその時の縁のようなものだと思います。
それならば、自分の直感を信じて、いいと思ったことにチャレンジしてみたほうがいいのではないでしょうか。
最後は、社会人としての武器を身につけること。
私の場合は空港以外では何の使いものにもならない武器(=旅客搭乗橋を飛行機に装着する技術等)ばかりを持っていたので、他の世界では役に立ちませんでした。
それならそうと割り切って、やりたいことや興味のあることに徹底的に向き合って、それにつながる武器、つまり資格や技術を身につけることです。
これからの時代、何が求められて、それに対して自分に何ができて、何がしたいのかを追い求めることは難しいことかもしれません。
しかし、人生100年時代といわれる中、不本意に仕事を続けることは心にも体にもよくないし、なにより、もったいないと思います。
その時の状況や、自分の気持ちとしっかり向き合い、キャリアチェンジをしてみて結果的にはよかったと思っています。