• 2020/05/12
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  • キャリアチェンジ体験記

大手小売業から海外の日系飲食業へ。 今、挑戦することの大切さ【キャリアチェンジ体験記】

  • マーキャリ会員  
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目次

【キャリアチェンジ体験記とは】
働き方改革が施行されたことにより、会社の体制や制度が変わったなんて人も多いと思います。企業も個人も今まで以上にビジネスマンのキャリア展望に目が向けられている中、マーキャリ会員によるキャリアチェンジに伴った体験談をシリーズものとして連載していくのが本企画です。

今まさに自身の今後のビジネスライフに向けて働き方を変える動きをしている方もまだキャリアプランが漠然としている方も参考になる内容になっておりますので是非ご覧ください。

今回の記事投稿者:sts_freestyleさん
⇒sts_freestyleさんのバイオグラフィはこちらをクリック

1.自己紹介

はじめまして、現在はフリーランスエンジニアを目指している河田です。現在25歳です。

僕は新卒で大手小売業に入社して東京の店舗に配属されました。そこでは鮮魚部門として鮮魚をさばく製造・顧客へのアドバイザー等をやっていました。新卒1年目では社内の昇格試験に合格しマネージャー代行へ昇格しました。また、鮮魚部門の資格である鮮魚士に合格し資格を手に入れました。

それから1年半で退職をして海外(ドイツ)の日経飲食業へキャリアチェンジをしました。そこでは有名ラーメン店に配属となり接客と調理・発注の業務をして、1年で副店長の位までいきました。

そこから1年半経った現在は日本へ帰国し新たな挑戦として、フリーランスエンジニアとして稼いでいくために勉強中です。

2.キャリアチェンジまでの流れ

新卒で小売業に就職してから1年が経った当時、昇格もして資格も持ったことで仕事に余裕が出てきたのと同時に、今後も安定して暮らせそうと感じていました。 一方で何か現状の自分に物足りなさを感じ、新しい仕事に挑戦しようとも考えていました。

そして転職サイトで色々と調べていくうちにまずは日本のとあるベンチャー企業に興味を持ちました。社長・会社の方針に魅力がありここで働きたいと強く思い面接にいきましたが、内定は頂けませんでした。

なかなか上手くいかないと思いつつ、それでもとにかく新しい仕事に挑戦したく、次第に海外に目を向けてみました。調べていくうちに海外で仕事をするのに魅力を感じ、生活でも色々な刺激があって楽しそうと思いました。まずは英語圏であるアメリカの日系企業へ応募しましたが、書類選考で落ちてしまいました。そして、学生時代に一度ドイツへ旅行したことがあり何となく暮らせるイメージがあったのと、海外にどうせ出るなら日本からあえて遠いところに行こうと思ったことから、ドイツの日系企業に応募しました。書類選考を通過し、日本で面接をした結果、内定を頂くことができました。

3.なぜ、転職しようと思ったか?

1番の理由は今のうちにもっと挑戦してみたかったからです。20代である今がチャンスだと強く思いました。
2番目の理由として、今の会社で続けたら順調に昇格し続け安定した暮らしが見えてきたからです。受動的ではなく主体的に仕事・生活をしていきたいと感じたのもきっかけです。

決して会社が嫌だった訳ではありません。1年目で昇格をして技術的な専門資格も手に入れていましたし、新卒1年目の当時は同期の中でも一番給料を頂いていました。今後もそこで長年やっていけば昇格できて給料も上がり暮らしも安定している、そんな人生になれたと思います。しかし僕はあえて安定を捨てて、挑戦する人生を歩みたかったのです。周りの友人・知人でそういう人達がいたわけではありません。全て自分の決断です。新卒で入った会社でも海外にいけるチャンスがありましたが2・3年でいけるカリキュラムではなかったためその手段は考えてなかったです。

4.元のキャリアのスキル、もともと持っていたスキルが次のキャリアにどう活かされたか?

元のキャリアでは鮮魚士の資格を持っていたので強いて言うなら包丁研ぎのスキルです。ラーメン屋では野菜を切ったり肉を切ったりすることが多かったので包丁研ぎをする際に活かすことができました。

また、学生時代のアルバイトで接客業を4年やっていたので接客スキルは活かされました。ドイツ人・その他の外国人に言葉が話せなくても高いサービスで満足させることができたと思います。

ちなみに言語は話せなくても日本の接客で何とかなりました。少しずつドイツ語に慣れて接客用語を覚えるだけで普通にやっていけました。

5.キャリアチェンジで最初大変だったこと

一つ目は両親と会社への説得です。両親は会社を辞めること自体反対する人だったので最初は何も話を聞いてくれなかったです。しかし、内定が決まったのを報告したのと同時に、海外にいくと決心してからは退職も認めてくれて送り出してくれる形となりました。

また、会社の説得はかなり大変でした。当時2年目で昇格も順調で、マネージャー候補になっていたので、何回も面談をした覚えがあります。しかしこちらも、最終的には自分の決断を尊重してくれて、海外へと送り出してくれました。

二つ目は環境に慣れることでした。海外に住んだこともなく、日本とは距離も遠いヨーロッパということもあり最初は生活に慣れませんでした。家は寮で3人暮らしのシェアハウスでしたが、家具もなく0からのスタートだったため生活に慣れていくまでのストレスは強烈でした。シェアハウスの同僚に助けてもらいながら2・3ヶ月ほど時間をかけ、次第に慣れていきました。

また、仕事ではお客さま・納品業者・工事業者などほぼ全てドイツ人・外国人であったため、初めて接客するときはかなり緊張しました。言語もできなかった僕ですが助けてもらいながら徐々に慣れていきました。
唯一救いだったのは言語やスキルがそこまでなくても仕事ができることでした。同じ職場の人も言語が苦手だったりして切磋琢磨しながら一緒に頑張ることができました。

6.成果をだせたこと

接客業を経験していたこと・小売業でお客様へアドバイザーをしていたことは接客対応で活用できました。言葉が話せなくてもドイツ人・外国人に日本式のサービスで満足させることができました。

また、とにかく自分の欲を素直に受け入れて行動できたことは成果になりました。「今しかない」「今がチャンス」「今行動しよう」こう思って夢中に行動したからこそ良い経験をすることができたんだと思います。

7.成果をだせたことの道筋

先ほども書きましたが、今しかないと思って行動をしたからです。ここで行動しなかったら10年後20年後、絶対後悔すると思いました。後悔をしてしまうならとにかく早い挑戦・行動のほうが良いです。そこに関してはかなり注力してできたので、このようなチャンスをつかめたのだとと思います。同業種でも別業種でも、日本でも海外でも、自分のやりたいことなら何でも良いと思います。

8.まとめ

自分が現時点でやりたいこと、後で後悔してしまいそうなことがあったらすぐに挑戦することをお勧めします。僕は挑戦できて本当に良かったと思います。海外で仕事をした経験は一生の財産となりました。
後の事は考えなくて良いと思います。それよりも今が物凄く大事です。お金が無くても大丈夫です。僕は20万円を日本の口座に置き20万円をドイツへ持っていっただけです。40万円だけでも何とかなります。もし海外に行く場合は半年くらい給料を貯金していけば全然問題ないです。

海外へ出ると友達と会えなくなるリスクもありますが、今はインターネットですぐに連絡を取り合えます。気軽に対面して会うことはできなくなりますが、徐々に慣れていきます。海外で新たな仲間を作れますし、そこで大きな刺激を感じられるので不安や恐怖はすぐに無くなります。またお金に余裕があれば半年に一回くらい一時期帰国をすれば良い話なので、自分のやりたいことを第一に優先にしたほうがいいです。

駄目だと思ったらすぐに諦めても大丈夫です。失敗もとても素晴らしい経験となります。これは本当に声を大にして言いたいです。何歳になっても挑戦は大事です。実際ドイツで働いた時の職場では20代が一番多かったですが、中には30代や40代の人もいました。彼らも日本で仕事を辞めてドイツに来て、自分のやりたいことに挑戦していました。皆それぞれの経験をして、リスクを負ってドイツに来ていましたが、年齢を重ねるにつれて大きくなるリスクを顧みずに、自分のやりたいことへとチャレンジする精神は尊敬できます。


僕も今、新たに世界中でどこでもできるような仕事スタイルにしていきたいため勉強中です。なので皆さんも沢山挑戦・行動をしてください。悔しいと思っても、反骨心がきっと自分の挑戦を助けてくれます。

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