• 2020/05/19
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30代半ばで選んだ、ダンサー・インストラクターへの道。【キャリアチェンジ体験記】

  • マーキャリ会員  
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目次

【キャリアチェンジ体験記とは】
働き方改革が施行されたことにより、会社の体制や制度が変わったなんて人も多いと思います。企業も個人も今まで以上にビジネスマンのキャリア展望に目が向けられている中、マーキャリ会員によるキャリアチェンジに伴った体験談をシリーズものとして連載していくのが本企画です。

今まさに自身の今後のビジネスライフに向けて働き方を変える動きをしている方もまだキャリアプランが漠然としている方も参考になる内容になっておりますので是非ご覧ください。

今回の記事投稿者:角本智代さん
⇒角本智代さんのバイオグラフィはこちらをクリック

はじめまして。ベリーダンサー兼インストラクターのSatoyo(角本智代)と申します。
私がこの道に入ったのは、30代半ばになってから。知識も経験も少ない状態から、試行錯誤しながらスタートしました。
そんな私の経験談について、お話しします。

20代から30代 ~貧乏役者からOLへ~

私はもともと、舞台役者でした。大学時代から劇団に所属し、卒業後も劇団員として舞台中心の生活をし、その合間にアルバイトで収入を得るという、貧乏役者でした(笑)
「三度の飯より舞台が好き」という気持ちで突っ走った20代。
しかし、20代後半になり、何の保障もない不安定な生活に対し、不安が頭をよぎるようになりました。でも、好きでずっと続けてきたことを辞める決心もつかず…そんな中途半端な状態の時、声帯を故障し、医師からのドクターストップがかかりました。
それによって、舞台役者を続けることが厳しくなったわけですが、ある意味、それが良いきっかけになったというか、自分自身の中で、踏ん切りがつきましたね。
そして、30歳を目前に、某旅行会社に契約社員として就職し、人生初の、いわゆるOLとなったのです。
決して高給ではないけれども、毎月定収入があり、福利厚生もある、それまでとは打って変わった、安定した生活。
また、旅行会社とはいえ事務方だった為、残業もそれほど多くはなく、プライベートな時間の余裕もありました。
そこで、何か新しい趣味でも見つけようと思い、偶然見つけたのがベリーダンス。
舞台役者だった名残で、やはりダンスなど芸事に興味があり、できればちょっと人とは違った珍しいことをしてみたい、という理由でベリーダンスを選びました。
でもその当時は、仕事にするなどと夢にも思いませんでした。ずっと貧乏役者だったので、芸の道の厳しさはよく知っていましたし。
普通に勤めながら、あくまで趣味としてダンスを楽しんで…
仕事とプライベートと両立した、充実したOLライフでしたね。私の人生の中で一番安定していたというか、「ぬるま湯」の時代でした(笑)

30代半ばで ~「ぬるま湯」から「冷水」~

勤め出して約5年位は、ぬるま湯状態で、特に何の疑問や不安も持たずに過ごしていました。
でもそのぬるま湯が一気に冷水へと変わったのが、2011年、3・11の東北大震災。直接被災したわけではないのでこのようにいうのは適切ではないかもしれませんが、この時に環境が一変しました。
震災による旅行業界への打撃は大きく、私が勤めていた会社も当然その影響を受け、雇用条件が大きく改変されました。
月給20%カット、賞与や残業・休日手当など各種手当の廃止、収入が大幅に減りました。また、アルバイトや派遣社員の解雇によって業務量が増え、収入が減ったのに残業は増える一方で、仕方がない状況とはいえ、ストレスを感じる毎日。
さらにプライベートでも嫌なことが重なり…「踏んだり蹴ったり」という状態でした。

突然の転機

そんな時に、突然降ってわいたかのように、転機となるタイミングがやってきました。
トルコ料理店のベリーダンスショーに、出演することになったのです。
ずっと習っていたベリーダンスの先生が在日の外国人の方だったのですが、やはり震災の影響で、母国へ帰国されることになり、先生の最後のショーで、一曲踊ってみないかと声をかけていただき…
気持ちが沈んでいた時だったからこそ、「一筋の光がさした」と、そのように感じましたね。
そしてショーの本番当日。
たった1曲、約5分間でしたが、踊っているとき、仕事やプライベートのことなど色々もやもやしていたものが一気に消えて、ただただ、踊ることが楽しく… 
また、踊り終わった後に感じたのが、役者だった頃の、本番後の何ともいえない爽快感。
「やっぱり、こういうのが好きなんだな」
と、改めてひしひしと感じたのです。
さらに有難いことに、先生の帰国後、レストランショーを引き継いでほしいといわれ、もう、本当に嬉しかったですね。
そこで決心したのです。
会社勤めも、必ずしも安定した道とは限らない。だったら、自分の好きなことをとことんやってみよう、と。

手探りのスタート

それから、まずは会社を退職し、役者時代のように、バイト生活に戻りました。
レストランショーの仕事は月に数回。それだけでは生計を立てることができないので、やはり主な収入源は必要でしたから。かといって会社勤めだといつ残業があるかわからないので、会社勤めとの両立は難しいと判断しました。
そして、ダンサーとして踊る以外のダンスの仕事、インストラクターとして、指導することで、仕事を開拓していこうと考えました。

ダンススタジオやカルチャースクール、スポーツクラブなど、思い当たる施設に手当たり次第電話し、ベリーダンスのクラスを開講させてもらえるかを問い合わせました。
しかし、当初はほぼ全滅。
ある程度の規模の施設では、もうすでに他の先生によって開講されており、ほぼ門前払い。まだベリーダンスのクラスが導入されていないところでは、ベリーダンスがどんなものかというのを知られておらず、特殊なカテゴリーの教室を開講したところで生徒が集まるかどうかわからない、と受け入れてもらえず…
また、問い合わせてまず尋ねられるのが、指導経験のキャリア。
ダンス経験はそれなりにあっても、指導歴はゼロというのは大きなマイナスポイントでした。
それでも、もう「数内当たれ」の如く、他県や郊外の施設などにも問い合わせを続けていく内、ある一つのカルチャースクールから「どのくらい需要があるかはわかりませんが、とりあえずやってみますか」というお返事をいただきました。
「うちは地域密着型の施設なので、受講料も高くは設定できないし、交通の便も良くはないので、交通費や通勤時間のことも考えると、条件は厳しいと思いますが、それでも良いですか」
という担当の方の言葉に「結構です、ぜひやらせて下さい」と二つ返事で答えました。
その時は、収益のことなど二の次、とにかく始めなければ…という気持ちだけでした。でも、だからこそ、スタートを切ることができたのだと思います。

初めてのレッスン

そして迎えた初回のレッスン。
新規開講クラスということで、まずは1回のお試しの体験レッスンでした。
それで受講者がいなければ、開講は見送りです。
一人でも参加があれば…と思っていたら、なんと、10名の参加がありました。
教えるのが初めての自分と、ベリーダンスが初めての生徒さんたち。
お互い緊張しながらのレッスンでしたね。
自分自身も必死で、どんなことをしたのかを覚えていないほどでしたが、でも、有難いことに、10名中8名が、継続して受講を希望し、晴れて開講することになりました。

ハングリー精神を持って

インストラクターとしての仕事を拡大する為に、とにかく経験値を増やしてキャリアを築くことが必要だと感じ、一つ目に開講したレッスンを皮切りに、他の施設にも売り込みを続け、少しづつレッスン数を増やしていきました。
とにかく、フィーなど条件は関係なく、早朝や夜遅い時間帯問わず、自宅から片道2時間かかる場所であろうと、レッスンを担当させてもらえるなら、と、どこへでも行きましたね。
そのハングリー精神のおかげで、半年ほど経つ頃には、10箇所ほどレッスンを担当できるようになり、まだ充分とはいえないながらも、ある程度ダンスで収入を得ることができるようになりました。

学ぶことの大切さ

はじめの頃は、とにかくレッスンの数を増やすこと、仕事を増やして収入を得ることだけに集中していました。
でも、それ以上にもっと大切なことがあったのです。
それは自分自身「学び」です。
当然のことながら、初心者からはじめた生徒さんも成長します。自分のレベルへと近づいてきます。指導する内容も、レベルアップさせなければなりません。
教えるという立場であれば、常にリードしていかなければならない、遅ればせながらそれに気づきました。
また、ダンスを指導するにあたって、ダンスのテクニックだけでなく、身体について根本的に学ぶ必要性も感じました。
そこで、ピラティスとヨガを学び始めました。

学びからの広がり

ピラティスとヨガについて、本格的に学ぶため、指導者資格取得コースに通いました。
これによって、色々と良い結果へと繋がりました。
ベリーダンスのレッスンを担当していたスポーツクラブで、ヨガやピラティスのレッスンも担当させてもらえるようになり、仕事数が自然と増えたのです。
また、ベリーダンスの生徒さんに対し、それぞれ個人の身体の癖など詳しいところまで見ることができ、生徒さんのレベルアップにも繋がり、中級・上級コースを増設することができました。
そして何より、ダンサーとしての自分自身に一番役立ちました。身体を知ることによって、自分自身の身体を改善し、より踊りやすい身体へと近づけることができたのです。
学ぶということから、あらゆる方向への広がりがありました。

大切なこと

このように、私は30代半ばから、新しい道を選択しました。
やはり、当時は周囲からの批判は多く「その歳で会社やめてどうするの」とか、「いい歳して夢みたいなことをいって」とか、辛口意見ばかりでした。
でも私は、「自分の人生は自分のもの」と自分の意思を持ち続けました。
そして、ハングリー精神を持って、とにかく突き進みました。
それが、結果に繋がったのだと思います。

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