日常的な仕事で働く仲間に対しても家族に対しても、SNSなどに出ている人に対しても、人は様々な反応をします。「ひどい人!」「なんでそんな事するの?」と、ちゃんと理解せずに他者を否定してしまう事も多いですね。
社内でやっているスタンス研修で、他者を理解してリスペクトすると言うテーマがあります。過日研修を受けたメンバーが「他者の事を詳しく理解してしまうと影響を受けてしまうのが怖くて、 知らない様にしていた」と話していました。すぐに否定してしまう事も、理解する事を避けるのも、理解する事が=共感合意だと思ってしまう事が理由の一つではないかと思います。理解する事と、共感する、同意する、は別であり、影響を受けるかどうかは自分で選べます。
例えばミステリーなどで、殺人事件があって、もちろん殺人はよくない事ですが(これも平時とは違い戦争の時は大きな戦果を挙げた人は賞賛されるなどの状況もありますが)、犯人が殺人を犯してしまう理由には共感できる事もあります。共感は出来るけど、やっぱり殺してはいけないと思う人も多いかと思いますが、人によっては自分も同じ状況なら同じことをしてしまうかも知れないと思う人もいると思います。もちろんこれはフィクションでの話です。
ただ言える事は、何故殺人が起きたかを理解するというプロセスと、それに対して気持として共感できるという事と、その行為に関して同意できると言う事は全部別な事だし、理解以降の事は自分で判断していると言う事です。理解した上で、共感は出来るが同意は出来ない。理解したが共感も出来ない等いくつかのパターンがあるのだと思います。そこまで自分で認識があるかどうかは別にして、自分の価値観や考え方で主体性を持って決めているという事です。
個人的に好きな漫画/ドラマ『ミステリと言う勿れ』の主人公の久能整が、事実と真実の違いを説明するシーンが好きです。階段を歩いていた人が人に突き落とされた事件があって、ここで言う事実は、階段で人と人が接触して一方の人が階段から落ちたという事です。落ちた人の真実は接触した人に突き落とされたと言う事ですが、一方落としたと言われている人の真実は、ふと振り向こうとしたらたまたまその人と当たってしまい、その人が落ちたという事です。事実は一つですが、それぞれの人によって真実は別々にあるという事です。
多くの場合、そのそれぞれの人の真実の違いで、相手が間違っているという事になる訳です。これは他者から見られている場合もそうで、他者がすべての状況を共有できている訳ではないので、違う見方をされる事は当然な事です。何故解ってくれないんだと思うのではなく、多くの場合、時間はかかるけどあきらめずに認識を一致させていくしかないですね。
またその人が一時的にとった行動で自分から見えている真実だけで、その人を判断しない方がよい場合も多いかと思います。一回のそれも違った認識の真実の違いで、その人に対する既成概念を作ってしまい、信頼関係を構築できない事もあるからです。その人の様々な行動や特徴に目を向けて、その違いをリスペクト出来れば最高ですね。それが出来る人が、結果的にリスペクトされる人にもなるのだと思います。
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■萩原 張広 Profile
株式会社エムエム総研代表取締役CEO。株式会社リクルートにて法人営業、営業マネージャーとして7年のキャリアを経て、株式会社エムエム総研を設立。法人営業のコンサルティングサービスを大手IT企業やベンチャー企業に向けて多数提供。1998年、ニューヨークでの視察経験から日本でのBtoBマーケティングの必要性と可能性を感じ、業態をBtoBマーケティングエージェンシーとする。以降、数百件のマーケティングプロジェクトに関わる。