働き方改革が施行されたことにより、会社の体制や制度が変わったなんて人も多いと思います。企業も個人も今まで以上にビジネスマンのキャリア展望に目が向けられている中、マーキャリ会員によるキャリアチェンジに伴った体験談をシリーズものとして連載していくのが本企画です。
今まさに自身の今後のビジネスライフに向けて働き方を変える動きをしている方もまだキャリアプランが漠然としている方も参考になる内容になっておりますので是非ご覧ください。
今回の記事投稿者:佐藤寛之さん
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自己紹介
こんにちは。佐藤寛之と申します。私は大学卒業後、愛知県にある大手鉄鋼メーカーにて生産管理部で4年半勤務後、海外留学を経て2018年から父の後を継いで農業を営んでおります。
この記事をご覧の方の中には「なぜ大手の会社を辞めて自営業、しかも大変そうな農業という仕事を選んだのか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
今回の記事では、私が大企業でのキャリアを捨てて農業分野へ挑戦しようと思った経緯や、前職でのどんなスキルが今の仕事でどのように役立っているかをお伝えできればいいなと思っております。
現在、同じように会社員から農業分野へ挑戦する人は少しずつ増えています。そうした人たちや、独立を考えている人たちに少しでも参考になる部分があれば幸いです。
日本でしかできないモノづくりに関わりたい!
私が前職の鉄鋼メーカーを選んだ理由は2つです。1つは「モノづくりに関わる仕事がしたかったから」もう1つは「日本のすごいモノづくりを世界に発信したかったから」というものです。
モノづくりに関わりたかったのは、大学時代に海外のスラムや東日本大震災の被災地でボランティアを行ったことが大きく関係しています。
ボランティアに参加してみて、自分が普段している生活と現地の人たちの生活との大きな差にショックを受けました。「飛行機やバスでたった数時間移動しただけでこんなにも生活が違ってしまうのか」と感じたのを覚えています。
そこにいた人たちと自分の生活は大きく異なり、その差を生んでいるのは身の回りに物があるかないかということでした。スラムでは薄い板で建てた小屋に人が暮らしており、部屋の中にはほとんどものがない。津波の被災地は跡形もなく建物が流されており、本当に何もない状態でした。
そんな経験から、日本だけでなく海外へもしっかりとした品質の物を届けて、豊かな生活を全ての人に送って欲しいと思うようになり、最初の会社へ就職しました。
仕事を鉄鋼からお茶に変えた理由
農業への転職を考えたきっかけは、母の体調不良と父の体力の衰えを感じたことでした。それまで特に考えていなかった両親の体のことが急に気になり出し、「両親2人だけでやっていくのは無理ではないか」と考えるようになりました。
すでに述べたように、私の軸は「モノづくりに関わること」と「日本のすごいものを世界に発信すること」の2つです。自分のやりたいこと考えたとき、扱う商品が「鉄鋼」から「茶」に変わっても、やりたいことは同じようにできるし、やるべきことも変わらないという結論に至り、4年半の会社員生活をおえて家業を継ぐ決意しました。
生産管理で培った「数字で管理するクセ」が農業でも役に立つ
今でこそICTの力でいろいろなことが数値化されて管理できるようになった農業ですが、まだまだICTの世界から遠く離れたところにいる産業だと思っています。工業の世界ではとてつもなく細かな単位であらゆる事象が計測されていますが、農業の世界は全く違います。人によっては今年の収穫量は「多かった」「いつも通りだった」などしか答えられない人もいます。私の父はある程度の数字は記録していたものの、昨年の数字を参考にすることはほとんどなく、「なんとなく」でしか把握していませんでした。
前職の生産管理で歩留まりや工程の直行率、異常率など、仕事のほぼ全てを数字で管理しており、数字で考えるクセがついていました。今までは加工途中のお茶の状態から父親の勘で工程を管理していましたが、私に代わってからは機械のあらゆる部分の数値を残し、「どういう数値で工程を流した時にどのようなお茶ができるのか」という部分を重点管理するようになりました。
その結果、お茶の製造工程でマニュアル化が進み、収穫したお茶の状態に合わせて工程を通すことができるようになってきました。
また、肥料に関してもそれまでは毎年同じ肥料を同じ量だけ施肥していましたが、ここ数年は狙いの味を決め、土壌分析と施肥設計に基づいて肥料の種類、量を決定しています。どのような味のお茶が好きかは好みが分かれるところですが、お客様の反応もよくなってきています。
加えて、海外輸出することを1つの目標としていたので、退職後に時間を取り、4ヶ月ほどの語学留学を行いました。ここでの経験も現在に活きており、海外での商談も通訳を付けずに行うことができるようになりました。
就農当初に大変だったこと
家族経営の農家というのはあらゆる仕事を自分で行わなければいけません。農作業はもちろん、加工機械の整備、農産物の販売、営業、在庫管理、経理業務、HP作成など、やらなければいけない仕事の種類は会社員時代の何倍にもなります。多くの仕事が未経験であり、その全てを誰かが教えてくれるということはないので、自分で勉強していくしかなかったことは大変なことでした。
また、農業は気温や降水量など、自分でコントロールできない部分も多く、条件を1つだけ変更して栽培を行うといった対照実験ができません。毎年これがベストに近いであろうという仮説を立てて、1年間かけて検証していきます。最初は何もかもがわからないことでしたが、しっかりと記録を取ることでわかるようになった部分もかなり増えてきました。
初の海外輸出
会社員時代から海外と関わる仕事がしたいと思っていたので、自分たちのお茶もなんとか海外へ輸出できないかといろいろな取組をしてきました。海外バイヤーの多く集まる大規模展示会に出展したり、海外営業の代行を頼んでみるなどやってきましたが、これらは販売には繋がりませんでした。
試行錯誤を重ねていた折りに、県の輸出支援事業の一環でシンガポールとマレーシアに訪問商談を行う機会を得ることができました。商談は全て英語でしたが、海外留学で学んだことが活きてなんとか商談をまとめることができました。営業も初めての経験でしたが結果としては3件の契約を結ぶことができ、初めて輸出をすることができました。
現在はSNSを活用した発信を通して、ドイツやフランス、UAE、シンガポールと多くの国からの問合せをもらっています。
変化の激しい世の中を自分の力で突破していく
農業分野でお金を稼ぐことは非常に大変です。最初の段階ではJAへの出荷など単価の低い売り先しかない場合が多く、その状態で農業を続けて行くのは非常に厳しいものです。狙うべきセグメントやターゲットを明確にして実行に移していく論理的思考力と行動力、その際に発生するさまざまな交渉、実際の農業生産など、やることの多さとその幅は会社員の比ではありません。だからこそ難しくもあり、うまく行った時にはとても楽しいものです。
世界中の人口が増えていく中、日本の人口は減り続けます。その人口減少よりも遥かに早いスピードで農業人口は減っています。耕作放棄地がどんどん増えていくのはピンチでもありますが、捉え方次第では大きなチャンスです。余った土地を有効に活用できれば突破口は見えてくると考えています。
現在の世の中は産業構造の変化があまりに速く、10年も経てば同じビジネスモデルで通用することはなくなっているように感じます。特に日本の大企業は、継続的なイノベーションは得意とするところですが、破壊的イノベーションを生み出すことができずに、かつての地位を海外に奪われています。そんな世の中だからこそ、なかなか変わっていかない企業にずっといるのではなく、自分の力で世の中の変化を乗り切ってみてはいかがでしょうか?
皆様が自分の力で人生を切り開いて行けるよう願っております。